「足るを知る」、それはたんに欲望を抑えるということだけでなく、もっと積極的により深い生の充実に達するための知恵であるという。それでは、この「深い生の充実」とは何なのか?朧(おぼろ)げにしかイメージできない「より深い生の充実」が、この本を読んで、少し見えてきたような気がする。
♪「知りたくないの」石井竜也
中野孝次「足るを知る」
真意の読み違え
「足るを知る」この言葉の本当の意味するところを知りたくて、調べてみました。「足るを知るものは富む」~人間の欲望にはきりがないが、欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が富んで豊かであるということ~とあったのです。これを普通に解釈すると、「あれもこれもと欲しがるな、分をわきまえよ!現状に満足せよ、ありがたいと思え!」みたいになってしまうかもしれませんね。
「知足者富」、この教えを説いた老子はどんな思いで言ったのでしょうか?おそらく、上のように「現状に満足せよ!」とはやっぱり違うような気がするのです。人は「隣の芝生は青い」ということわざがあるように、自分にないもの、他人にあるものに目が行きがちで、自分にあるものから目をそむけていると思うのです。老子は「心の有り方」を説いたのではないでしょうか。つまり、満足を知っているものは、心安らかに生きることができる~と。

自己評価と他者評価
評価(満足)の基準を、自分にするのか他人にするのかで、その人の行動、生き方、そして満足度も大きく変わってくるでしょう。他者からの評価を大切にすれば、絶えず他人の目に悩まされ、地位、お金、名声、モノを追い求めることになるでしょう。そもそも、他者の評価はコントロールは不可能とまでは言いませんが、かなり難しいころにかわりはありません。これを中野氏は「外なる価値」と呼んでいます。そして、こうも言っているのです。「自分の生きる楽しさ、よろこび、充実などを棄てて、外物(がいぶつ)のために身を壊したりして、君は生きていると言えるか。自分の人生を大事にしなくちゃつまらんじゃないか。ゆったりと構えて、自然の声を聞き、一日一日を自分の生のために大事に使うことができる」 つまり氏は、うわべだけの満足にとらわれるのではなく、「真の満足」を目指すべきだと言っているのです。真の満足、イコール「わがいのちの充実」です。マインドにとらわれず、ハートに生きる生き方が真の満足につながるというのです。

自分を知るということ
「知足者富」の載っている第三十三章を中野氏が現代流に訳すと次のようになるといっています。他人や社会を良く知るものは「知者」だが、
自分自身を正しく知る者は「賢者」だ。
他人に打ち勝つものは、「力」があるというだけだが、
自分自身に打ち勝つことのできるものは、「真の強者」だ。
足るを知って、自分を完全に受け入れることのできるものが、本当に豊かな人なのだ、と老子はいいたかったのではないでしょうか。「外なる価値」ではなく「内なる価値」に目を向けよ、自分と相対し、自己をみつめよ会話せよ!ということなのかもしれません。

また、中野氏が紹介している、加藤祥造「老子と暮らす」には、ほとんど創作に近いような「自由訳老子」が面白いですので、ここに書いておきます。
ぼくらは、人にほめられたりけなされたりして、
それを気にしてびくびくして生きている。
自分が人にどうみられるか、
いつも気になっている。しかしね、
そういう自分というのは、本当の自分じゃなくって、
社会とかかわっている自分なんだ。
一方、タオ(道)につながる本当の自分があるんだ。
そういう自分にもどれば、
人にあざけられたって、笑われたって
ふふん、という顔ができるようになるんだ。
社会から蹴落とされるのは怖いかもしれないが、社会の方だって、いずれ変わってゆくんだ、
大きなタオ(道)をちょっとでも感じていれば、
くよくよしなくなるんだ。
たかの知れた自分だけど、
たかの知れた社会なんだ。
もっともっと大きな「ライフ」というもの
それにつながる「自分」こそ、大切なんだ。
それにつながる「自分」を愛するようになれば、
世間からちょっとばかりパンチをくらったって平気さ。
愛するものが、ほかにいっぱい見つかるのさ。
世間では値うちなんかなくっても、
別の値打ちのあるものが、
いくらでも見えてくるんだ。

こころの安らぎを求めて
他者評価、つまり満足を外に求めれば、こころのコントロールは難しくなり、他人に委ねることになりますね。しかし、貧しくとも自分の心の持ちかた一つでいつでも心の安らぎが得られるのではないでしょうか。いまこそ、コントロールすべきもの、コントロール可能なわがこころと向き合うべきなのです。中野氏はこの「本当の満足」について以下のように述べています。
「この現世にいきながら、現世を超越した魂の深い安らぎを求めるこころがある。それが自然へと人を誘い、自然のなかで何のわずらいもなく自然と同化することに言いようのない充実を感じさせる。」
私なりの解釈ですが、「知足者富」これは、決して安直な「妥協」ではなく、「積極的満足」であると思うのです。つまり、「これでいい」ではなく、「これがいい!」であると思うのです。

選択余地のある幸不幸
現代はモノ、情報にあふれ、お金さえあればなんでも選び放題の時代です。職業、居住地選択の許されてなかった大昔の人が現世に来たらどう思うでしょうか?あれもこれもあるから迷い、悩むのです。選択肢がありすぎるために他人と比べ、自分をみつめることを疎かにし、その結果自分を見失ってしまうのです。このような時代に自分を確立するのはたいへんなことです。そんな時、私は「自分の内なる主人」の心の声に耳を傾けることにしています。「ほんとうはおまえは何がしたいのか?何が好きなのか?」と常に自分と向き合っているのです。

一発サイン宣言!大谷翔平選手の軸
「判を押す? それが普通。評価するのは自分ではない。他人の年俸も、自分の年俸も興味はない。お金について、どうこういうつもりはないです。もちろん大事なことですが、自分の中では一番大切なものという感覚はないですね」 昨年の契約更改での大谷選手はこう言いました。自分の軸を持ち、決してブレることはない。自分の本心に忠実に従い、「一番大切なもの」を追い求めていく。今こそ、彼に学ぶべきものがあるのかもしれません。

そして、感想!
幸不幸→自分次第!
自分と向き合うことの大切さ!
自然へ帰れ!
自知=足知
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