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生徒との距離のつかみ方保ち方~ちょうどいい間合い~「デイドリームビリーバー」高畑充希

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若く、とにかく熱い教師はこどもとの距離が近く、仲がいいということで「自分は人気がある!」「スゴイ!」とよく勘違いしてしまうようです。そもそも、教師と児童・生徒が「仲がいい」という時点でバツです。関係が「良好」というなら分かりますが、教師と子どもは友人関係ではないのです。むしろ、学校での親、兄姉、おじさんおばさん的な役割が求められている存在と言えるでしょう。

一見かんたんに見えてしまう、この児童・生徒との距離のつかみ方、置き方は意外と奥が深く難しいものなのです。学校という職場に限らず、さまざまな職場で人は、人との距離感を適度に保って過ごしています。この「間合い」を誤るとき、さまざまなトラブルに巻き込まれることになるのです。ベテラン教師と呼ばれる人たちで人望のある教師の距離感は、実に絶妙です。彼らから学べることがきっとあるはずです。

そもそも、教師と生徒は友人関係にはなり得ない、なってはいけない

私も卒業生との交流が未だに続いておりますが、大人になった彼らとの交流もまたいいものです。かつての「教師と生徒」という関係とはちょっと違った、それに「大人同士」の付き合いをプラスしたようななんかいい感じなのです。

でもですね、大人同士、腹を割って話せはしても、やっぱり友人関係ではないのです。そうなのです。かつて、そして今も師弟関係にあるということに変わりはないからなのです。もちろん、相手がこちらを「師」と認めての話にはなりますが。

そもそも教師の「役割」について考えてみると、彼らとは決して友人関係にはなり得ないことが分かるでしょう。目線を同じにして相手の立場に立つことはもちろん大切です。しかし、彼らを少しでも良い方向に導いたり、寄り添っていくために別の見方からきちんと見据えている別の眼をまた持ち合わせていることも教師には要求されるのです。

例えがうまくないかもしれません。友人関係がヨコ、主従師弟関係がタテの関係だとしますと、教師と子どもとの関係は、このどちらにも当てはまらない「ナナメ」のようなクロスする関係と言えるかもしれません。普段は何でも話しやすい雰囲気であっても、決してなあなあの慣れ合いの関係ではなく、一目置かれ尊敬されている・・・こんな関係が理想なのかもしれません。

公立私立にせよ、ごほうび、対価として給与というありがたいものを頂戴している「教育のプロ」なのですから、サービス提供者としてのプロ教師の視点が求められるのも当然です。たとえば、目上の者に対する関係がうまく未だ構築できていない生徒に対しては、それなりの指導が必要でしょう。こういった導きは、友人関係のままで果たしてできるのでしょうか?

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人とひと、みんな同じ人間なのだから・・・

教師と児童・生徒~という関係性を考えたとき、適当な距離のおき方が当然求められます。この距離の保ち方、置き方がうまくいかないと、すべてがギクシャクしてしまうのですね。これにはちょっとした秘訣があります。それは、相手を一人の人間、人格としてとらえ、認める~ということなのです。一見、当たり前のようなことですが、なかなかできていないものなのです。

児童・生徒を何もできない、庇護・指導のみを必要とする存在・・・と一方的に見るのは間違いです。こどもにしかない発想、視点、考え姿勢、生き方などなど彼らから学び、得るものも実際たくさんありました。要は、彼らといっしょに自分もまた成長していこう~という謙虚な姿勢こそ大事ということなのです。成長し続けてこそ、教師です。

教師もこどももまた、同じ人間なのですから・・・

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嫌われたくない症候群

いくら、児童・生徒を一個人としてとらえたとしても、「嫌われたくない!」「好かれたい!」「仲良くなりたい!」という気持ちが先走り、よくある教育実習生のようなかんじになってしまってはどうしようもありません。

最近は嫌われたくないがために、児童・生徒を叱る(怒るとは全く異なります)ことができない教員が増えていると聞きます。子どもたちは、自分たちを叱らない教員を求めているのでしょうか?違いますよね。きちっと筋の通った指導をしてくれる教師を求めているはずです。

叱ることができないということは、指導が通るかどうかは別として、指導そのものを放棄している訳なのですから、結局スジを通すことができなくなり、徐々に徐々に見透かされることになるでしょう。底の浅さを・・・

どんなに若い人でもやがて歳を重ねていくことでしょう。いつまでもノリと若さだけでは押し通せやしないのです。つかず離れずの距離で寄り添い、導いてくれる教師力、人間力といった、そんな懐の深さに生徒は惹かれていくものだと思うのです。

教師という仕事は、わき役に徹することが多い仕事ですが、基本的に「自分」という個性を前面に出していかなければならない仕事・・・相手の出方次第でブレてなんかいたら、やがて仲良しごっこに飽きてきた子供たちから、見透かされ見限られること必至です。これまで時間をかけて培ってきた自分自身の「柱」「芯」ともいうべきものがとても重要味を帯びてくるのですね。

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子どもとの距離の取り方、置き方、保ち方

それではいったい、どう子どもたちとの距離をつかんでいったら良いのでしょうか?これは誰もが一度は通る道で、みんな一度や二度の失敗はよくあることなのですから、心配ご無用です。私も講師時代、初任の頃~とあまりにも近すぎてやけどをしたことがありました。みんなそうやって適度な距離感をつかんでいくのです。

かんたんに言ってしまうと、近すぎず、遠すぎず、付かず離れずの距離、関係がいいですね。

近すぎはキケン!

相手との心理的物理的距離が近いほど、相手に対して感情移入することになりますね。たとえば、相手の心配事、悩みが、自分のもののようになってしまい、自分までもが病んだりするようになってしまうのです。また、近いがゆえに衝突やトラブルに見舞われることになるのです。

遠すぎるのはナゼ?

一方、あまりにも遠すぎる距離感というのも「?」マークがつきます。

近すぎて、相手の懐に居座り続けるのも問題ですが、あえてこどもとの間合いを縮めようともしない人は、なぜ教員をやっているのでしょうか?言い方はキツいですが、教師という仕事に幻滅を感じていたり、諦めている人ではにでしょうか?あえて、自分の意思で深く、突っ込んでかかわりを持つことをせず、教師の仕事を生活の糧を得るため~と捉えているのかもしれません。

当然、生徒と真正面から向き合わず、表面だけ見ることになるのですから、お互い人間理解ができずに本当につまらないことでよくトラブルになったりするものです。

結局のところ、間合い・距離の取り方などというものは、考えてどうこうというものではなく、経験を積んでいくことにより、いつの間にか適度なほど良い距離を保っているようになっていた・・・そんな感じのものだと思うのです。

そういう訳なのですから、臆することなく生徒の懐に飛び込んでいって実戦で実践を重ねていくしかないのです。ただ、先に話しました「適度・適当」な間合いの意識は必須です。自己の職責・立場、そして教師になったときの熱い思いを忘れることがなければ、距離という目測を誤ることもないでしょう。

人とひととの付き合いなのですから、きっちりかっちり何cmなどと堅苦しく考えず、なんでも緩急つけてリラックスしていきましょう。

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