教師を志す人へ 教育・教師

教師になるなら新卒?会社員経験してから?教師には民間を経験してからなったほうがいいわけ

新卒という価値を最大限に活かせる一般企業受験と比べて、教員採用試験には新卒、講師経験者、再チャレンジ組とさまざまな人たちがトライしますね。新卒で教師になるべき?それとも一般企業会社員を経験してから教師になったほうがいいの?迷える大学生へのアドバイス!






「会社員やってました!」だけでは意味なし!
社会人経験をどう現場で活かすか?それが大事! 

正直なはなし、新卒であろうと既卒であろうと教員にはいつでもなれます。採用自治体の年齢制限に引っ掛からない限りの話になりますが、最近では年齢制限撤廃や制限を緩和する自治体も多いのはみなさんご存知の通りです。

現場では即戦力、バイタリティのある人間、そして何より自分というものをしっかりと持った「社会人」を求めています。このような人物は何も学校だけに限らず、どこの職場でも喉から手が出るほど欲しいことでしょう。(半分ホンネは組織になじむ突出しない、協調性のある人間が欲しいのでしょうが、ここでの深入りは避けます)

「即戦力」というと、講師経験者が有利と思われがちですが、現場では社会人経験者も少数ではありますが一定の割合を占め、バリバリ活躍しています。ズバリ!一般企業で働いた経験は現場でも生きてきますし、貴重なものとなります。特に閉鎖的な社会になりがちな学校と言う空間で、さまざまな価値観を持ち、雑多な経験してきた人間の存在は実にありがたいです。

学校、教員が世間一般だったり民間企業とかけ離れている意識のズレに気付くことのできる貴重な存在だからです。学校に限らず、たえず同じような人種が集まるところでは停滞が始まり、流れゆく水に濁りも生じてくることでしょう。

学校という存在がこれからも有り続けるためには、彼らは絶対ゼッタイ必要な人財です。

しかし、「社会人を経験してきました!」だけで、自分の「ウリ」はこれです!と胸を張って言えないのであれば実に弱いのもまた事実です。確かに給与面では経歴換算で、社会人としての経験も「新卒」とは区別され、給与にきちんと反映される仕組みになってはいますが、お金という対価を新卒よりも多く貰えるからには、それなりの「価値」があって然るべきでしょう。

でもですね、社会人経験でハッキリとした実績、成果がある人だけではないと思うのです。そもそも数値という目に見えるカタチで評価されるようなところで生きてきた人ばかりではないはずです。そのようなところであっても、自分なりに精一杯生きてきたのであれば、彼の社会人としての経歴はきっと本人のなんらかの肥しになっていることでしょう。

純粋培養で学校の世界しか知らない人たちとはまた違った視点で学校をとらえることができます。今回の学習指導要領改訂でも、これからの学校は民間のチカラを取りこみ、地域との交流を積極的に進める社会に「開かれた学校、教育課程」であるよう望まれているのです。

ますます、多様な経験、生き方をしてきた社会人が学校で活躍することが望まれていることは間違いありません。




あなただけの
私なりに未来予想図をしっかりと描くことが大切!

むろん、教員採用試験受験者のすべてが、「ガチ」で教師を目指しているモーレツな人ばかりではないでしょう。「とりあえず」だったり、「いちおう」だったりするのは分かります。昨今の教員不人気から教員採用試験の倍率低下が嘆かれていますが、校種・教科によってはまだまだ教採は高倍率です。中途半端な準備と気持ちでまぐれ当たりするような試験でもありません。

教師に向き不向きはもちろんあるのでしょう。しかし、自分ではまったくの不向きと思っていたのに、「とりあえず」現場に入ってからの本人の努力により「向き」にもなるし、ガチの志望者が「不向き」となっていくことも悲しいことですが現実にはあるのです。

何はともあれ「ガチ」だろうが「試しに」だろうが現実問題として採用試験の期日は決まっており、自分の未来予想図をもとに計画を立てなければいけません。実際には以下のようなパターンからの選択になります。

①教員採用試験一本(落ちても就職せず採用試験のためがんばる)→ガチ組

②教員採用試験一本(落ちたら臨採等の経験をしながら採用試験を目指す)→ガチ組

③教員採用試験、一般企業と併願(受かったほうに行く)

④教員採用試験、一般企業と併願(どちらも合格!はて迷った?)

⑤あえて新卒で教採は受けず、民間を経験してから再チャレンジ!





この場合、迷うのは④のパターンでしょうが、③~④のように結果の成り行き任せにするのではなく、たとえば、「教師になる前に5年民間で働いて教師になろう!」というふうに、事前にキッチリと計画が立てられているのがほんとうは一番なのです!

このケースの場合、会社で働きながら教採の勉強になりますので、実際問題としてあぶはちとらずになりかねないです。会社で働いている間は、遮二無二会社人として生き、教員採用試験を目指してからはこちらに邁進すればいいのではないでしょうか?「会社人」でありながら、学校のことを夢見ていては、何よりせっかく採用してくれた会社にたいへん申し訳ない。

つまり、自分が目指すものが何であるかをハッキリさせて、そのための行動を取るべきだということです。他にたとえば、「いつかは教育分野で起業したい!そのために、民間企業と教育現場との両方で経験を積みたい!」という希望のためにどちらでも一定の期間、シャカリキになるのであればこれはこれで尊重されるべき立派な考えであるでしょう。誰も否定なんかすることはできません。

要は自分の「軸」を現段階でしっかりと立て、それに基づいて行動していくべきなのです。この「軸」がしっかりしていないと、風向き、成り行き次第であっちにユラユラ、こっちにフラフラとそれこそ風来坊、根無し草になってしまいますよね。

そこで、ガチで教師道まっしぐら!!~という人以外は、一度社会人を経験したうえで教師を目指すことを強くおすすめします。きっとまっすぐに現場に入っていった人たちとは一味も二味も違った教師人生送れること間違いなし!

かくいう私も、社会人→講師→教諭→社会人→自営~という道を歩んできました。それぞれのステージにおいての学校、生徒に対する思い、教育観もまたそれぞれ異なってきているのです。まわり道を積極的にすすめるわけでもありませんが、もっともっと学校は解放されるべきであり、さまざまな人間がいてこそ学校であると私は思うのです。

子どもたち、父兄にも様々な人間がいるように、学校で働く教職員にもまた雑多な人種の存在が許される場所なのです。学生時代成績優秀で協調性バッチリ、学校大好きだったステレオタイプな先生ばっかりだったら子どもたちも窒息寸前ですよ。

中には不登校で学校嫌いだったけど、そういった子どもに寄り添いたい~という思いを抱いた人が教師を目指したら、きっと救われる子どももいるのではないでしょうか?

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世間一般、民間企業と学校のズレ、違い
まわり道、寄り道 教師人生のススメ

それでは、一般社会と学校とでは、いったい何がズレているのでしょうか? これは学校以外で働いたことのまったくない人には気付けないことでしょう。きっと。

※ 「元教師が思う「やっぱりおかしい教師の世界」~変えていかなければならないこと~

だって、学校を通してしか、世間一般は見ることはできないから。これまで民間という空気を吸って育ってこなかったから・・・このギャップ、意識の落差に気付こうとしても気付けないし、何が違うのか、おかしいのかさえてんでわからないのです。

これは本人には罪はないでしょう。社会を含めた、「学校の在り方」から来るものだからです。

また、この落差にはもちろん、いい面と悪いギャップがあります。学校ならではのおおらかさであったり、学校が学校であり続けるためにどうしても必要である一般社会との落差だってあるでしょう。これはどうしようもないことです。

先述のように、いろいろと人生渡り歩いてきた私ですが、私なりに気付いた学校と民間とのズレの主なものは以下のような点です。あくまでも私が思うところですが、このほかに、さまざまな経験をしてきて教師になった方、教壇を去って民間へ飛び出したみなさんが気付かれたことなどあったらぜひ教えてください。

①原価意識まるでなし

労働、時間(他人の時間も含めて)、モノを含めての原価意識のことです。

この感覚は自分でモノ、サービスを売ったことのない人、給与が自己、あるいは会社の業績により上下する経験を味わったことのない人にはなかなか理解してもらえないでしょう。民間での感覚ではお金というものは自動的に振り込まれるものなんかでは決してなく、自分で稼ぐ、勝ち取るものなのです。特に自営の方はこの意味するところが分かってもらえると思います。

なにせ、経営者にとっての給料日は、労働の対価として従業員に給与というカタチでお金を支払わなければいけない実に頭と胃が痛くなる日なのですね。

教育公務員であればとんでもない不祥事を起こさぬ限り、「フツー」に過ごしていても、退職のその日まで給与は上昇し続け、退職後の生活まで安泰なのですから、いかに少ない時間、労力で最大限の果実、パフォーマンスを得るか?などという発想からは遠のいていくばかりです。

自分のこのアクション、働きはどう会社に貢献できるか?この視点、マインドはたとえ教育公務員であっても必要なのではないでしょうか?

※「学校のモノはオレのモノ?教員は今こそ、原価意識を持て!~給食持ち帰り教諭処分を考える~

②いきなりリーダー&ヒロイン、ヒーロー

たとえ新卒22歳で教員になったとしても、一人前扱いの立派な教師です。初任研があるとはいえ、いきなり教師としての立ち居振る舞いが求められます。民間ではまず、あり得ないでしょう。まあ、リーダーになれるのは児童、生徒に対しての場合がほとんどですが、もちろん例外もあります。部活動で、その道のプロフェッショナルな歩みをしてきた人などはいきなり正顧問で、退職間際のおじいちゃん先生が副顧問~なんてパターンはザラです。

リーダーであったのは子どもたちに対してだけ・・・で教員人生を終える人だって結構いるものです。望むと望まらずとも。学年主任も、教科長も、各部の主任クラスもなにも経験することなく・・・子ども限定のリーダーシップのみしか経験してこなかった人には、教員をまとめていくことの難しさはおそらく実感として湧いてこないでしょう。

私は管理職の経験こそありませんが、学年主任、各部長等を経験して、子どもなんかより「大人」を引っ張っていくことの難しさをいやというほど味わいました。

民間の元教員評が、「エラソー」「尊大」が大部分を占めるのもなんとなくわかります。なにせ、いままで自分中心に世界が回ってきたのですもの。あくまでも中心は子どもたちであって、子どもたちあっての自分ということを忘れている人が多いのではないでしょうか。

おおきなギャップを感じる点はこれらですが、この落差に気付けるためにも、雑多な経験をしてきて、「なにか」を持っている社会人の存在は実にありがたく、貴重です。そして、いつの日か教壇に立つ気持ちがあるのであれば、できるだけさまざまな校種、教科のこどもたちと触れ合う経験をしてきてほしいです。

「自分は小学校志望だから、高校生はいい!」ではなく、中学生、高校生、場合によっては幼児、乳児の世界も知っていれば世界も広がりますよ。子どもはとっても不思議な存在・・・そのステージ、ステージにしか見せてくれないキラリとしたものがありますよね。

※「元教師が思う「やっぱりおかしい教師の世界」~変えていかなければならないこと~



何に向いているかなんて誰にも分からない

「ガチ」で教師を目指している人からしたら、「とりあえず」とか「あとから」なんてのは許せない存在なのかもしれませんが、人間、何にでもなれるし、どうなるかどう化けるかなんて誰にも分からないものです。

「とりあえず」だって「一応」だって少しでも興味があればOK!なんでもものごとは「やってみたい!」から始まるはず!「とりあえず」でも試してみる価値は「大!」 現場が、こどもたちが、あなたのチャレンジを待っています。

そこから大化けして、「ホンモノ」の教師よりも教師らしくなっていく~なんてパターンはザラでしょう。

しっかりとしたブレない志とそのこころざしのための努力さえ怠らなければ、ある意味、子どもがそれなりの教師にしてくれるものです。

繰り返しになりますが、学校にはいろんなこどもがいるように、様々な教師、人間がいていいはず。型にはまった、オールマイティーなスーパーマンだらけの教師だらけでは、それこそこどもたちがまいってしまいますよね。

学校が小さいころから大好きで、その延長線上に教職という仕事があったから当たり前のように教師になった・・・こういう直球勝負のいちずな人はそれはそれで素晴らしい。しかし、学校が教員が昔から大きっらいだったけれど、ひょんなことから教師を目指すことになった・・・このような人もまたぜひいてほしいのです。

だって、彼のような人間にしか、学校が大きっらいな子どものこころは分からないと思うから・・・

土台、7歳で小学校入学して大学卒業後ストレートで教採合格、現在の諦念60歳まで勤め上げたとしたら、実に「50年以上」学校と言う狭い「ハコ」の中で生きることになるわけなのです。この現実は教員のスキルアップという面からとらえると果たして本当に教員のためになっているのでしょうか?

はなはだ疑問です。



教職という職業は、機械が子どもたちと触れ合い学び合うものなんかではなく、人間という「いきもの」の「人間力」という総合的な「チカラ」がものを言う世界です。

これからの時代を担う子供たちを導いていかなくてはならない人間である教職員が「外の世界」をまったく知らない純粋培養のお坊ちゃんお嬢ちゃんだらけではまずいということです。

教員の置かれている環境は確かに過酷であり、仕事もまた激務であることは身体を壊して学校を去らざるを得なくなった私ですからそれなりに理解はしております。しかし、外の世界で辛酸を舐めつくしてきた私としては教員の世界はまだまだ甘いです。

勤評が導入されつつあるとは言え、死亡ひき逃げ事故など起こさない限りその地位は固く守られ、退職のその日まで手を抜こうがシャカリキになろうが給与は上昇カーブを描き、果ては退職後、死ぬその日まで手厚い年金にキッチリガッチリガードされている・・・

このような世界でいったん甘い汁を吸ったら、辞めようなどと思う気持ちはなくなることでしょう。そのようなバカモノは私くらいなものでしょう。

同じ世界、ハコにいる人間だけと付き合っていく中で得られる学びも当然さまざまなものがあります。しかし、教師と言う職業は教壇を去るその日まで学び続けていかなくてはいけない存在です。教師の人間力にさらに磨きをかけるためにも、人間的に一回りも二回りも大きな包容力のある人間になるためにも、雑多な経験、付き合いは必要不可欠なのではないでしょうか。

仮に、社会人を経験していくうちに教職とはまた違った世界に自分のステージを見つけていっても、それはそれで彼のしあわせでしょう。いろ~んな仕事をしてきたけれど、やっぱり教師になりたい!こんなチャレンジングな教師がもっともっと増えてきたなら、学校はさらにさらに面白くて奥が深い学び舎になっていくような気がしませんか?

※「いつだって人生やり直しは可能!途中からでもなれる教師という仕事~遅咲き、まわり道こそ人生の醍醐味~

そして、結論!

あなたの社会人経験が活きないはずがない!

多様な価値、経験が今こそ求められている!

あなただけの未来予想図を描こう!

そして、あなたの「ウリ」「軸・柱」を育てよう!

「とりあえず」だって大歓迎!

学校はいろんな人間がいてこそ、「学校」

「ガラスの小びん」詞・曲・歌:吉田真里子















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