教師を志す人へ

公立vs私立高校教師「なるならどっちだ?」違いと特性からの選択~教員採用試験~






その選択、ちょっと待った~!高校まで普通に公立できたので、当たり前のように教員採用試験も「各都道府県の採用試験」って早急すぎませんか?何も学校は「公立」だけではなく、「私立」という立派な選択肢もあるのですから。一歩進んで大学の「先生」を目指したっていいかもしれません。

そして、地元、出身地、出身大学地にこだわることなく、どこにだってあなたは行くことができるのです。その気にさえなれば・・・今回は公立私立それぞれの私の勤務経験から、その違い、特性そして選択のポイントをまとめてみました。

まず、何がしたいのか?自らに問うてみる!

ここからすべては始まる~といっても過言ではないでしょう。
なぜ、数ある職業の中からあなたは「教師、教員」という仕事を目指しているのでしょうか?
こどもが好き、児童生徒と共に自分も成長していきたい、教えることがが好き~ひとそれぞれの理由があることでしょう。

きれいごとを言うつもりはありませんので、最初にハッキリ言います。言葉が過ぎたらごめんなさい。

公立にせよ私立にせよラクをしたい、つまり、「頭は大したことないけど、エラソーにしたいし一生安泰な教員がいいかも」~なんて思っている人は絶対、ゼッタイどちらにしても止めといたほうがあなたのためでもあるし、学校、社会、こどものためです。

現場にはこのようなひとたち、教員が現実として存在するということを分かってほしいのです。

途轍もない例外(神内聡さん、現役教師兼スクールロイヤー(校内弁護士)東大法卒、東大大学院修了、筑波大法科大学院卒業)はありますが、学力がかなりハイレベルなひとたちは間違っても小中高の教職などには就きません。就こうとさえも思わないそうです。ほんの一部の例外を除いて・・・

実際、東京大学出身のアルバイト学生と将来についてある塾で雑談したとき、彼は言っていました。

「なると仮定したら、大学教授ですかね」、続けてこうです、「教師の先生~って一瞬思いましたが、もう先行者がいますしね・・・」
「誰かに教えるってより自分で何かをゼロから創り出す仕事がしたいですね。」

人が敷いたレール、既存のプラットフォームには乗っかりたくないということなのでしょう。一方で先述の神内先生のように晴れやかな経歴を持っていながら、あえて学校で働くことを選択する人も現実としてたしかに存在するのです。

それだけ、学校という職場は人を惹きつけるものがあるのです。教壇でしか咲かせられない「夢」があるのでしょう。

寝る間も惜しんで、学校、こどもたちのため日々精進している、心から尊敬できる教師ももちろんいます。ですが私のこれまでの勤務経験上はごくわずかでした。

言葉は悪いですが、中途半端に勉強ができたエリートくずれが人様(ひとさま)の大切なこどもを預かり、将来を決定づける仕事をしている訳なのかもしれません。過去の私も含めて。

教育は人づくり~とよく言われますが、むしろ児童生徒から教わること、気付かされることが本当に多い仕事です。

つまり「身の程をわきまえる」「自らを冷静に省みる」ということを忘れて欲しくないのです。教壇に立つことになったその日から、「先生」と呼ばれることになるわけですから、自分が偉くなったと勘違いしてしまうかわいそうな人が多すぎるのがこの世界です。

自らをもう一度振り返ってみる・・・このことが出発点として非常に大切であると今の私は素直に思えます。

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腹がすわれば・・しかし、似て非なるもの・・・

もうあとは何も心配はいりません。自分を振り返り、自分と対峙した結果、見えてきたものがあるはずです。

あなたが教師となってしたいこと、これから実現可能なステージをみつけていくだけです。

例えば地元に戻って、故郷に恩返しがしたい~というのであれば自ずから選択肢は限られてくるでしょう。また、特殊な技能、スポーツの経験者であったなら自然と候補の学校は絞られてくると思います。

それが私立であろうが公立であろうが自分の信念、理想に向かって進むべきです。

この「自分の柱」となるべきものがグラグラしているようでは本当にこれからが危ういです。なぜなら、教育とは現実と向き合いながら理想を追い求め続けていく仕事でもあるからなのです。「現実」には本当に「これでもか!」というぐらいいろいろなことがありすぎるのです。


ただ、何でも物事には例外があるからこそ面白いのかもしれません。別に立派な志があったわけでもなく、なんとなくこの世界に足を踏み入れたけれど、まさしく自分にピッタリ!~というしあわせな人たちとも一緒に仕事をしてきました。

こういう一部の例外はありますが、たとえ経験はなくとも自分の「柱」というものがシッカリしていないと、昨今の厳しすぎる現場の荒波にもまれて、あっちいきこっちいきの繰り返しの果て、難破&座礁してしまうこと必至です。それほど現在の状況は厳しいと言えるでしょう。強固な「思い」「理想」が有事に自分を支えてくれることになるのです。

その理想を追い求めていく前に知っておいてほしいことがあります。

私立と公立、この二者間、まさしく「似て非なるもの」という表現がぴったりです。

この二者間の違いを浮き彫りにするために、まず私立学校ならではの特色を挙げてみたいと思います。

何よりも授業がポイント!

まず、いの一番に挙げなくてはいけないのは「授業」です。ご存知のように、私学の場合、公立学校と異なり、児童生徒の学力はある程度平均化しています。

生徒&生活指導(ここでは問題行動のみに限定)に公立より比較的時間が取られない分、授業によって「成果」を出すことがシビアに求められるのです。最近では公立学校にも自己他者問わず勤評制度が導入されつつありますが、正直私立はもっと厳しいです。

私の専門であった高校商業などは各種検定試験が毎月のように行われているため、授業の成果が合格率としてストレートに現れるためほんとうにシビアな世界でした。

つまり、授業の「質」、そして「成果」が問われるということなのです。

実際、私も公立高校から私立高校に転職した時に、教師を生徒に見立てた「模擬授業」がありました。教授内容のみを見るだけだと高をくくっていたのでしたが、ちょっとビックリでした。

「生徒」が途中で眠りだしたり、歩き出したりするのはまだ仕方ないとしても、いきなり掴みかかってくるのですから・・・教育困難校の経験が長かったので普通どうりに「先生」を指導しましたが、状況判断、処理能力もしっかりとみられたのでした。

そのため、私立学校ではいきなり「専任」(公立では教諭)で採用はせず、常勤講師等で採用し数年様子を見てから「専任」で採用~というところが多いのです。それだけ、授業の質、成果を出すことが求められる世界と言えるでしょう。

そもそも、父兄はなぜにわざわざ公立学校の3倍以上の高いお金を払ってまで「私立」を選択するのか?~という素朴な最初の疑問に立ちかえるべきなのです。家庭、児童生徒の選択肢には当然、「公立」もあったはずなのです。余分なお金を払う分の付加価値が求められて当然です。

そこには当然「投資」という概念が入り込みます。何に投資するのかと言うと、それは児童生徒の「出口」であったり、人脈、ブランド、将来性~といった付加価値でしょう。また、特に女子校などでは特に女性としての在り方、生き方を追い求め、そういった教育を「価値」として施しているのです。

公立のようにただトコロテンのようにジャンジャン送り出すだけでは、誰一人として入ってきてくれやしないのです。つまりお金を受け取っただけの「価値」を学校としては提供しなくてはいけないのですね。

何年もの間、下準備一切なしで同じ内容、同一教材でまったく同じ授業をやっていても公立では誰も文句なんて言ってくれません。仮にあったとしても、それがまかり通ってしまうのが、公立学校の怖いところです。

私立学校ならではの特色の数々

公立私立問わず「学校要覧」というものがあります。要覧とは個々の学校が、学校の教育計画などの大枠をシンプルにまとめたものであり、年度ごとに毎年作成するものです。しかし、なぜに公立の学校要覧はあのようにいつもデザインもそっけなく、せいぜい十数ページなのでしょうか?そしてお決まりのように、学校の組織図、構成員、年間計画、生徒概要、学校行事、進路状況などにだけ終始しているのでしょう?

私は公立学校、定時制も含めて5校経験してきましたがすべてこのような感じでした。要覧はほかにアピールするものではないし、紹介するものでもないということのような気さえしてきます。毎年つくらなければいけないものだから仕方なくつくった・・・って感じです。しかし、「学校要覧」の定義を調べてみると私の持っている本には以下のように書いてありました。

「学校要覧とは、「個々の学校が、学校の教育計画や経営計画の概要等をわかりやすくまとめた小冊子であり、年度ごとに作成されている。学校要覧はその年度の計画の概略をもって、参観者や保護者、地域の関係機関等への理解を図るために作成されている場合が多い。特に作成の義務付けはないため、学校の独自性に基づいて工夫されるものである。だれを対象におくかによって、内容や体裁が変わってくるのである。学校内はもちろんのこと、学校外の関係者にも広く理解され活用されることを意図するならば、PR誌的性格が望まれる。」「現代学校教育大辞典」(ぎょうせい)

そうなのです。要覧はPR、アピールしてもいい媒体なのです。なのになぜ、公立学校は「独自性」を謳わないのでしょうか?

私の手元にこれまた経験してきた公立学校の要覧がありますが、見事に冊子の構成、内容が同じなのです。もちろん私立にも要覧はありますが、オリジナルを強烈&猛烈にアピールしています。

そのうえ、生徒、父兄、対外向けに学校案内、パンフレットまであるのです。なぜ、公立学校は要覧以外に「パンフレット」がないのでしょう?そもそもアピールする必要がある?という声が聞こえてきそうですが、ここに問題を解く大事なキーが隠されているような気がしてなりません。

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私立学校ならではのオリジナリティ

 ①独自の特色、教育方針、指導方針を打ち出している

そうあらねば、現況の下、本来学校は生き残っていけません。しかし、何があっても潰れることのない公立学校は別です。閉校、統合等があっても教員は異動で他校に行くだけでいいのですから。

宗教に特化した学校、中高一貫教育、男女別学、少人数クラス編成・・・など目に見える大枠だけでなく、ポリシー&スピリッツの面で「私共、ウチはこう!コレ!」って大々的にオリジナルを打ち出しているのです。

いま、私の手元には二十数校の私立高校の生徒・保護者向けパンフレット&募集要項がありますが、もちろんフルカラーで上質紙ばかりです。お金と時間と手間暇かけています。少し各校のキャッチフレーズを紹介してみましょう。

★あらたな時代に、あらたな風を~みずからの可能性と未来をひらく学校~

★ここから始まる未来の自分~

★愛することを、信じることを~美しく学びたい~

★心の美しさを学びたい~心豊かで創造力にあふれた実践力のある人に~

★いつの時代も伝統にあたらしい息吹を!

★みんなで夢みる。みんなでかなえる。

★あなたの夢は、きっと叶う。

★気品ある進学校を目指して。

★一人ひとり未来があるんだ。

★夢をつかまえちゃおう。

★知・情・意

★やさしくて強いお母さんが憧れです。

★英語に強い=受験に強い

いずれもアグレッシブで、とにかく前へ前へと突き進む強い意志が見て取れて、入りたくなっちゃうキャッチコピーですね。そして次が教育方針です。

☆彡神を信じ、人を愛する人間を育成する。

☆彡自主的で持続力のある人間を育成する。

☆彡高い知性と豊かな情操を身につけた社会で活躍する華のある女性を育み続けています。

☆彡日本の文化・伝統に親しみ、異文化を理解し、広い心で考え、活躍できる人材を育成します。

☆彡「自立自律」「清和気品」の人間教育を基礎に、一人ひとりの学力を向上させ、明るい学園を創造します。

☆彡一人ひとりの夢を大切に、きめ細やかな進学指導。

☆彡仏教による宗教的情操を培い、人格の完成に努める。感恩奉仕のこころを育て、社会の浄化と平和に寄与する。

☆彡キリストの教えに基づいた心の教育、大切にしたい5つの心(学ぶ、祈る、奉仕する、和する、賛美する)

女子教育に力を入れている学校、宗教色を強く打ち出している学校、とにかく進学実績を前面に出している高校~と自己アピール度がすごすぎです。みなさんも私立を受けるのであれば自分の志望校だけでなく、いろいろな学校のパンフを後学のためにも取り寄せたほうが絶対いいです。きっと何か新しい発見がありますよ。

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②特殊な教科、技能に応じた科を設けているところが多い

学校個々の独自性は科、コース、そして教科科目だけではありません。スポーツ、文化問わず部活動、課外活動等においても独自の特色を打ち出しているところが少なくありません。公立ではおよそ検討もつかない部活動があったりしてビックリポンです。ロータリークラブ、フォークソング研究会、ハンドベル部・・・私がいた私立で実際あった部活です。当然、その顧問になる可能性もあるという事です。

また、公立にずっと勤めていたのでは一生目にすることのないスペシャルなワードが私立では燦燦ときらめいています。スーパー特進コース、医学部特進コース、自由選択科目、共通履修科目・・・これまた自らの生き残りをかけて、生徒のため成果を出すため新しい取り組みにチャレンジしているのです。こういった進化、変化のスピードはどう考えても公立よりは早いでしょう。

③処遇待遇いろいろまちまち・・・

巷の情報では私立学校教員平均年収、40歳時、7,160,000円、公立学校平均、6,740,000円~などとなっていますが安直にとらえてはいけません。あくまでも、私立学校の場合は「平均値」です。公立学校はその通りでしょう。私が退職した時の年収が手当込税引前で約7,000,000円でした。

つまり、私立学校は学校によってバラつきがありすぎる~ということなのです。40歳時で軽く10,000,000円を超える年収の学校もあれば、40になっても3,000,000円を行ったり来たり~という学校もあるということです。学校の経営状況がもろにダイレクトに給与に反映されるのが私学なのです。

ほとんどの学校の経営状況は安定していると思ったらそれは安易な考えです。次の特色の「広報」が如実にその厳しい現実を物語っています。

④広報!ナニソレ!?

これ何のことだと思いますか、そうなのです。「生徒募集」専門のセクションが私立にはあるのです。公立高校等では「渉外」っていうセクションがありますね。私が公立退職した後、勤務した私立高校では年3回学校説明会がありましたし、教員がそれぞれのチームをつくり、それぞれ地元の中学校に営業に出かけていました。

さらに文化祭などは恰好の学校アピールの場ということで、さまざまな趣向を凝らした戦略を練っていたのでした。

一方、これまた公立退職後、一時期勤務した私立通信制高校での「広報」は、教員免許を持たない専門の営業マンで構成され、日々の朝礼&終礼でその成果を報告していたのですから私立学校にとって如何に「生徒募集」が大切なことか分かっていただけることでしょう。

お客様である生徒児童が入ってきてくれなければ学校が存続できないのです。塾、中学校まわりから、高校まで行くのですよ。高校は中途退学者を送ってもらうためです。

小中学校・高等学校のホームページを覗いてみてください。そして公立と私立をじっくりと比較してみてください。いかにもダサく(死語&失礼ですが本当にそう思いました)、使い勝手がわるく、一応つくっただけ~というものが公立に多い中、私立はお金も人も労力もとことん使い込んでいます。

作り込んだ、訪問者に優しい見栄えのするHPが多いはずです。特に女子高なんて、制服&オシャレ度の強調がすごすぎです。つまり、アピール度、本気度が公立とはケタ違いなのです。自分たちの死活問題、生命線なのでですから生徒募集は、真剣にならざるを得ません。

⑤チャレンジ精神(ファイティングスピリッツ!)

公立では「例年通り」「恒例ですから」がキャッチフレーズのように全国津々浦々の学校で毎年何万回と今でも言われていることでしょう。つまり、前年、前例を「踏襲」し、「滞りなく」やることがある意味求められます。

何か新しいことをやる!となったらこれはもうチャレンジャー以外の何物でもありません。あなたはサムライになれますか?なにをやるにしてもお金がついてまわること必死!それに時間と労力プラス気苦労・・・根回し書類の書き起こしやら、気が付いたらあっという間に一年~なんてことざらです。

新しいことにチャレンジできるような環境とは正直言い難いです。いわば上から降りてきたものを、敷かれたレールに沿ってそつなく淡々と処理していくことが至上とされているのです。

そこのところ私立の場合、学校内で処理できることであり、それが教育上必要と認められれば、議題に上り、あとはスムーズに行くということも多いようです。伝統はもちろん重んじられるのでしょうが、むしろ、新しいことに果敢に取り組み、自らを改革、成長させていかないと生き続けられないのが私学だからなのかもしれません。

⑥コネ、ツテの人が多い

これは個人、学校法人運営のとろですから致し方ありませんね。とにかく多いです。いろ~んなところで繋がってます。私はフツーに採用試験を受けたのですが、初出勤当日、たくさんの教師から「だれの知り合い?」ってきかれました。

当然人間関係にも・・・いろいろな意味で影響を及ぼしてきます。人間関係が普通、良好な場合は何の問題もないのかもしれませんが、コジれた場合たいへんなのは火を見るよりも明らかだと思うのです。誰かの顔色をうかがったり、忖度しなくてはいけない環境は普通でないだけじゃなく、学校、個人としての教育活動に影響が出てくるのではないでしょうか?

あのソフトバンクの孫さんは決して社内に身内は入れていないというではありませんか。親族で成り立っている組織が体質的に脆いということは歴史を紐解いてみれば容易に理解できます。「おともだち」「みうち」で固めた組織で難局を乗り越えていくのはたいへんなのではないのでしょうか?

すべての私立がそうだとは決して言いませんが、公立学校にはあまりない一つの偏りとしてとらえておいてください。(公立であっても、ツテ、コネが未だに蔓延(はびこ)っている自治体もあるのでしょうが、ここでは詳しく述べることは避けます。この問題は話すと実に長く、根が深いです。)

⑦基本異動なし・・・

系列、小中高間での移動があるところも当然あるでしょうが、基本異動なしと思ってください。人によっての受け止め方はさまざまですが、私はこのことについては成長し続けていく宿命にある教師にとってはマイナスに影響すると考えます。

人間が固定されているから、人間関係が最高の時は居心地のいい職場、関係が最悪の場合は異動転勤できないので最悪、やめるしかない・・・と普通のひとは考えると思います。しかし、私の考えることはそれとは違った次元の問題なのです。



教師もまた、さまざまな人、教師、児童生徒に巡り会ってお互いに影響を与え成長していくものだと信じるからです。たしかに人員、学校の固定化はじっくりと腰を据えて教育活動に励むにはもってこいかもしれません。しかし、こういった環境では慣れ合いの状況に陥ってしまう可能性だけでなく、あたらしい出会いまでも失ってしまうようで怖いのです。いつの時代も変化に強く、変化に適応してきた生物だけが生き残ってきたのではないでしょうか?変化とはある意味、リバース、自己再生の恰好のチャンスであると私は信じています。

しかしこればかりは人それぞれですから、なんとも言えません。私だったらさまざまなリスクはありますが刺激も得るものも多い(と思われる)公立を迷わず選びます。

公立での年度替わりの3月、お世話になった方々たちを見送り見送られる、そして4月転任新任の先生方を迎え迎えられる~一種独特の新鮮さトキメキ、胸キュン(これも死語)ですよね。3月感傷感謝、4月期待夢想&気分一新~私はこの季節が大好きでした。

公立は毎年毎年それなりの入れ替わり異動がありますが、私立はどうでしょう?毎年繰り返される非正規の異動と、欠員が生じた教科の新規採用、そして定年の退職くらいが人事の変化ではないでしょうか?

※こちらでは詳しく述べられなかった、私立ならではの「人間関係固定化の恐怖」についてはこちらをどうぞ!

人間関係固定の恐怖!公立vs私立高校教師「なるならどっちだ?」違いと特性からの選択②

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⑧能力、成果、実績の評価がシビア

学校の評価を上げることに貢献できない、つまり努力しない、当然成果も出せない、指導力のない教員はまず切られるということです。一度採用試験に受かってしまえば、あとは死亡ひき逃げ事故などでも起こさない限り一生安泰~の公立とは大違いです。

ただ、私立学校もまちまちです。進学、就職実績を上げるためにそれこそ血眼になっている学校があるかと思えば、公立不合格の受け皿となっている私立の「教育困難校」などでは、授業の質ももちろん大事ですが、生徒指導力がより問われることでしょう。

つまり、何の努力もすることなしに、学校に貢献できないものは生き残れないということなのです。

⑨雰囲気が一種独特(と思った・・・)

こればかりは個人個人の感覚的なもの、主観が入るものなので「断定」「言い切り」などは決してできませんが、私はそう思いました。まして私立女子校、広域通信制高校(株式会社立)と私立は二校しか経験しておりませんのであくまでも参考程度にとどめておいてください。

なんというのでしょう。言葉が過ぎたらごめんなさい。一種ネチネチとしたというか、ジメジメとしたなんとも居心地の悪い空間なのです。

これまた主観がかなり入りますが、人事もまた滞留があると濁りが生じるのでしょうか?身内同士でお追従言い合ってたり傷の舐め合いなんかしてても何の発展もないような気がするのですが。

当然、私立であってもお互いを高め合うような素晴らしい環境の学校がきっとあるとは思いますが、長いこと人間関係の入れ替わりがあまり見られない環境とはいかがなものでしょうか。

もちろん公立であってもこのような環境の学校はあります。けれども彼らは異動が必ずあり、自治体ルールにもよりますが、大規模校、小規模校、僻地、都市部、教育困難校・・・などさまざまな学校を経験することになっています。

小学校と高校では一校あたりの平均勤務年数はかなり違いがありますし、特殊教科であると一校の勤務年数は十年を越えることはザラではありますが、基本人間関係はサバサバしています。いつか近いうちにおさらばすること確実なのですから。

今年まであれほど寝食も共にした学年スタッフとも、来年はさよならです。それぞれまた新しいひとたちとの仕事に没頭する毎日なのですから感傷に浸っている暇など露ほどありません。

やはり学校のため子どもたちのためなら言いにくいことも言い合い、切磋琢磨していく環境の方が私は好きです。

それは職場の人間関係が良好に越したことはありませんが、馴れ合いベタベタは気持ち悪いです。オトモダチと仲良くおしゃべりするために学校に行っているわけではないのですから。

しかし、余程のことがない限り、私立専任正式採用の人たち同士は同志であり、退色し退職する日まで生涯付き合うわけですから何となくわかるような気もします。

これは私が教諭から講師へと職階が変わったことも手伝っていると思います。これが専任であったならまた違った印象を持っていたような気もするのです。(教諭の時にはおよそ受けることのなかったであろう待遇を受けたということです)このテーマで前にちょっと詳しく話したことがありますので「講師差別」にちょっとでも興味がある方は以下をどうぞ。
講師差別!教諭、常勤、非常勤~ぜんぶやってみてわかった非正規のツラさせつなさ~

⑩施設、設備が半端ない

これは私立出身のみなさんは当たり前~と思っているかもしれませんが私のように小中高が公立、大学だけ私立、そして勤務経験校の十年以上が公立の人間にとっては別天地に映りました。現在では公立にもエアコンの設置がどんどん進んでいますが、私の在職時代はゼロでした。各教室、職員室、分室までにエアコン完備には圧倒されました。

エアコンで驚いたばかりだというのに、図書館は本屋さんかと一瞬思ってしまった豪華絢爛さ、そして極めつけは食堂(学校ではランチルームと呼んでいました)!これは学食(古ッ!)といったレベルではなく巨大なレストランです。弁当を持ち込んで食べてもいいし、まさしくレストラン感覚でごはんも食べられる、ティールームまであるんですからビックリポンでした。

これら以外にも学校自体の建物のつくりもまた実にオシャレでお金がかけられているだけではなく、生徒目線、教職員視線でつくられているというのが見て取れました。公立時代に学校訪問で関西の私立高校を見学する機会があったのですが、そこの高校はスポーツに特化している学校で体育館系の施設が半端ではありませんでした。屋内プール、インドアテニス用コート8面、屋内トラックなどなど挙げたらきりがないほどすごかったです。

このほか、学校によってアスレッチクジム、トレーニングルーム、茶室、AVルーム、自習室があったりと各校さまざまです。また、私の出身大学はミッション系の大学なのですが高校にまで礼拝堂がありました。こういったように学校の特色に合わせた施設設備が充実しているのもまた私学の特色と言えます。



⑪完全週休二日!?

~などとは間違っても思わないほうがいいかもしれません。公立であっても確実に部活等で休日とされている日は全部もっていかれちゃいますが、少なくとも授業自体はないところが多いです。しかしですね、私がいた私立は月3回、土曜日午前中シッカリと授業ありましたよ。また、手厚いフォローをウリとしている学校でしたので「ゼロ校時授業」「7校時授業」以外にも補習が当たり前のように行われていました。

そのほか、いま手元にあるパンフレットの学校は週6日40時間授業+アルファをウリにしていたりします。猛烈な進学校ですね。

⑫私立男子校&女子校はこれからも生き残る

これに関しては素直に、男女別学にはオリジナルの良さがあることを認めます。弊害があるかもしれませんが。公立の別学が確実に少なってきている現実を尻目に、これからも間違いなく生き残っていくことでしょう。ただし別学のメリットを正しくとらえ、的確な教育を施していく学校だけに限定されると思います。

私が女子校勤務で感じたこと学んだことは以下で話していますのでここで深入りは避けますが、こういった「男子教育&女子教育」などのように別学の学校を志す人もまた、目指すべきステージは自ずから私立になってくるでしょう。間違いなく。関東の公立では、別学が強い県である群馬、栃木などあるにはありますが、当然公立は異動という制度が存在しますのでずっと別学勤務という訳にはいきません。ましてや100%希望どうりに人事など動いてもくれやしないのです。

男女別学・共学、それぞれのメリット・デメリット~女子校勤務で学んだこと~

⑬一人ひとりに手厚いアフター&エイド、アシスト

これは先ほどの各校のキャッチフレーズからも予想できますよね。個々に合わせた教育を目指し、実践している学校が多いのです。

⑭行事・イベント、年間計画またもオリジナル

「秋休み」って聞いたことがありますか?私立では秋の10日間程度設けているところが結構ありますよね。体育祭以外にスポーツ大会が春、秋と年に2回もあるところもあれば、宗教的なイベントが毎月開かれる学校だってあります。

一方、進路ガイダンスに特にリキを入れている学校などは、1年時のうちから毎月のようにガイダンスを実施したうえ、学校見学、体験学習、外部講師招聘授業などこれでもか!というくらい生徒に対して自己啓発のチャンスを与えています。こういった点などは公立も見習いたいものです。

修学旅行だって中国、ニュージランドなどのように海外が当たり前の時代です。とにもかくにも、年間計画にもまた、その学校の特色が大いに反映されているのです。

これ以外のもまだまだ私立ならではの特色というものがあるのですが、ここらでいったん終わります。いかがだったでしょうか?同じ学校でありながら、追い求める根っこの部分の理想は変わらないのでしょうが、まさに「似て非なるもの」なのではないでしょうか?

入職してからの方向転換はお互いにすべてにおいて「ロス」が多すぎます。いまは生きることにスピードが要求される時代です。情報はその気になりさえすれば得ることができますが、それを取捨選択し自分オリジナルに仕立て、取り込むのは自分しかいません。最後にこれからの教育界を担っていくみなさんに2つの言葉を贈ります。

①あなたオリジナルを忘れないで!教師志望学生が学生時代にやっておくべきこと~私の失敗例から~

②この本を読めば、あの本は読めないのだ!

得るモノがあれば、失うモノもやはりあるのです。どっちもどっちもは欲張りです。どちらかしかないのです。

チャンスをチャンスと捉えられる人はスゴいです!そして、ピンチをチャンスに変えられる人はもっともっとスゴいです!要はモノゴトは何でも捉えようなのですね。どこへ行っても子どもたちのあるところ、それが学校なのですから。

※今回は「公立or私立」に絞ったテーマでしたが、みなさんの中には校種、教科選びで悩んだり、学校以外の教育機関に選択肢を広げている方も多くいることと思います。私が経験してきた学童、塾、定時制高校、通信制高校、放課後デイなどもみな「先生」と呼ばれる仕事です。


これらのテーマでもそれぞれ話していますので、ちょっとでも興味がある方は当ブログの検索ウィンドに打ち込んでみてください。私は相談も受けることが多いのですが、過去に小学校教師の転職についての相談を受けたことがありました。

その女性はひとり娘、かつ実家が資産家であり、旦那さんの給与だけで普通に生活できるような経済的には比較的恵まれた環境でした。しかし、教諭として数年働くうち、仕事の過酷さとストレスから心身を病んでしまったのです。

彼女の悩みは「辞めたいけど辞めたくない」・・・つまり「どっちもどっちも」です。教師の仕事が好きなのです、彼女はやっぱり。そこで私は学童保育への転職を勧めました。いまでこそ、学習に特化した学童がありますが、学童ともなるとそのほとんどが学習指導のウェイトは学校よりも極端に少なくなりますし、その他の仕事諸々の負担が確実に軽くなることは間違いありません。彼女は職場体験を経て学童に正規として入職して現在に至ります。

人によって人生において求めるものというものはさまざまです。教諭という立ち位置にこだわる人もいれば、それがお金の人もいるワケです。彼女は自分の健康を優先し、小学校をキッパリ辞めたうえで学童の世界に飛び込んだのです。この点においては「どっちもどっちも」見事に両立、今はさせているのです。


「学校の外には、こんな世界が広がっていたなんて、いままで知りませんでした」いま彼女は本当に元気そうです。学校時代は様々な事務ワークのため、子どもたちと見つめ合う時間を確保するのに大変だったそうです。しかし、いまはそのほとんどが子どもたちとの時間なのですからそれはそれはうらうやましい限りです。

このように教育界にはさまざまなステージ、フィールドが広がっています。あなたがいちばん輝ける場所、それはもしかしたら公立でも私立でもないのかもしれません。この意味においても学生時代にさまざまなステージに立ち、現場の風に当たるということが何よりも大事になってくるのです。

私事ですが、今なぜか児童養護施設に興味が俄然湧いてきて本気で入職を考えています。こんな突拍子もないことでもその気になりゃ実行可能になってしまうのも、実は辞めたお陰なのですから運命の神様には本当に感謝しています。

あなたにはあなたオリジナルの道があるはずです。その道を選ぶのはもちろんあなたしかいません。そして道がなければつくってしまえばいいだけの話なのです。(それがドロップアウトした私です)

人生において残された時間が潤沢にあるというのは、実にありがたく幸せなことだということに気付く時はきっとみなさんがおじいさんおばあさんになった時ですね。

人生は真剣に生きるにはあまりにも短すぎます。いまがその時なのではないでしょうか。



そして、結論まとめ!

すべては自分次第、自分の内なる主の声に耳を澄まそう!

教員の転職は潰しがきかない(一部の特に有能な人を除いて)、慎重すぎるくらいがちょうどいい!

それぞれに一長一短、よって正解はなし!

どちらに進んでもそれがあなたの生きる道!

「BLUE LETTER」詞曲歌:甲斐よしひろ














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