いつの時代も、授業中の私語や携帯指導で悩まれている先生が多いですね。
いまだからこそ、言えることなのですが、問題は非常にシンプルなことなのです。今回の相談内容は、私も通ってきた道ですのでちょっとチカラが入ってしまいますが、いただいた質問内容にそのまま私が答える形で話していきます。
私立高校、非常勤講師五年目のAと申します。見た目若く大人しく見えるようで、生徒からなめられて授業を成り立たせるのにとても苦労しています。
40人クラスで男子たちが好きな話題で私語しています。その声でわたしの声がかき消されてしまいます。携帯を触っている生徒もいます。携帯を触っているを見つけると取り上げて担任に渡すのですが昼休みには担任が返してしまうので結局携帯を触っている生徒が後を立ちません。
このような状況で、まず何から取り組めばいいでしょうか?ご教示願いたいです。
まずは、「授業中私語には理由がある~やめさせるには、まず(い)授業の改善を+ルールを分からせる指導~」を読んでみる!
先生、毎日お疲れ様です。今回、たいへん私の回答が遅れてしまいましてごめんなさい。
私の講師時代、初任時代が思い出されます。いただいた文面だけでは詳しいことはあまり分かりませんが、非常勤で5年も同じ学校に奉職されているのでしょうか?すごいですね。
第一印象ですが~携帯を取り上げる~、~わたしの声がかき消される~といった文面からは指導が中途半端な感じで入っているように私には感じられます。
突然ではありますがいちばんはじめに、以前こちらでかなりリキを入れて話しました、「授業中私語には理由がある~」をまずは読んでみてください。
こちらでは、私が授業中の私語で悩んでいた頃、どのように自己分析をし、改善を試み、トライアンドエラーを繰り返して自分なりのスタイルを身につけていったかを詳しく話しています。
カンタンに言ってしまいますと、
① 自分の授業を省みる
② 授業ルールをつくり、それを守らせていくこと
この2つだけです。
ご自分の授業をご自身で見られたことはありますか?
「何を言っているの?この人?」なんて思わないでくださいね。まじめに話しているのですから。私はあります。何度も何度も。最初のころは赤面ものでしたが、すごく勉強になりましたし、自分をあらためて客観視することができて本当によかったです。いま思うとですが。
そうなのです。自分の授業をビデオカメラで撮影し研究していったのです。ビデオカメラに関しては「初任者教師のいまスグやるべきこと「決意と覚悟」~初任者研修も考え方次第で楽しいものなり~」で話しておりますのでこちらでの深入りは避けますが。確実に「授業力」は上がることを約束します。
当然、そこからの自己分析、反省、改善といったプロセスと努力は必要ですが。
私もこの方法を試してみるまではさんざん悩みました。
「なぜ、私語が無くならないのか?」
「何で自分の言うことを生徒は聞かないのか?」
「なぜ、何度も何度も同じことを言わせるのか?」
このように、「なぜ、なぜ・・・」ばかりで、子どもたちばかりに事の責任を押し付けていたのですから本当に恥ずかしい限りです。
いちばんの原因は、私の授業そのものに原因があった事がわかったのです。
初任者研修で指導教諭も付いてくれはしましたが、当然手取り足取りなんて余裕、指導教諭にはありませんよね。この教師からは、教科に関してはさほど教えは受けず、生徒指導に関して大いに学んだのでした。彼の授業も当然何度も何度も参観させてもらったのですが、教科書に忠実に板書して、それを書きとらせ解説していくというオーソドックスというか前時代的というか、傍目から見ても魅力的な授業ではありませんでした。(失礼な話ではありますが・・・)
教師を紋切り型に型、タイプなどに分類することなど決してできやしませんが、彼は授業で勝負するタイプでは決してなかったのでした。
野球部の監督と生徒指導部長を兼ねていて、チカラでグイグイ押していくタイプの教師であったのです。そのためか、そのようなあまり面白みのない授業であっても生徒は表面上はおとなしくしていたのです。(表面上とは、つまり全員が参加しているのではなく、内職も相当あったという事実を私はこの目で見てきました)
貴方はいったい全体、どのような状態の授業を望まれているのでしょうか?
このように子どもたちが、表面上はおとなしくしているような授業であればそれでよいのでしょうか?
それとも、全員が授業に参加している意識であふれている活気、ライヴ感ありありの授業でしょうか?
先生が目指しているものによって、その取るべき方策というものもまるっきり違ってきてしまうのですから、ここではっきりと決めなくてはなりません。
いずれにせよ、ご自分の授業の振り返りは間違いなくプラスに作動します。そこからどう動くかももちろん大切ですが。
そして、これも既に実践されてるかとは思いますが、さまざまな教師の授業を参観させてもらうことです。先生の非常勤というポジションからしたら頼みにくいことかもしれませんが、心が通じる教師はきっといるはずです。
教科、学年の枠を越えてできるだけ実際に見て体感することです。特に注目していただきたいのは、授業の内容で生徒を惹きつけてやまない教師の授業と「チカラ」で授業を成立させているかのように見せる教師の授業の違いです。
もちろん目指さなければいけないのは、授業も魅力的であり、授業中の生徒指導、目配り心配りもバッチリも授業ですよね。
どのような子どもたちであれ、授業を理解したい!分かりたい!参加したい!という気持ちはあると私は信じます。教師が子どもたちの知的欲求、好奇心を満足させることができればおのずから授業は授業として成立し、子どもたちは授業者、教師を信頼するようになるのではないでしょうか?
授業=生徒指導~という等式は本当に成り立つのか?
よく、授業を授業として成立させることができれば、生徒指導も半ばうまくいったものと同然~と言われますよね。
これは半分半分であると私は思います。一例を挙げてみます。
かつての勤務校に、授業の神様とまで言われた授業の達人がおりました。私も参観させてもらったことが何度かあるのですが、さすがに県の教科研究会の重鎮だけあって練りに練られた授業案であり「いったいこの授業のためにどれだけの準備を重ねられたのだろう?」と感じ入ってしまうような授業者の熱量を感じられるアグレッシブな授業でした。
生徒の知的欲求を刺激する「仕掛け」が随所に散りばめられ、時間の経つのも忘れて~とはこのことか!!と思わずうなってしまったほどです。もっともっと聞いていたい感覚にとらわれてしまいました。
「東京裁判」がいかに不当なものであり、裁判と呼べるものでなかったことに始まり、横浜裁判ではかの有名な稀覯本「世紀の遺書」の実物まで持ってきて生徒に読み聞かせ、死んでいかなくてならなかった彼らの無念さを涙交じりに語るそのさまは鬼気迫るものがありました。
彼の熱弁はここまでで、ここからは生徒たちに事前に調べさせてきた資料をもとに、一切他に責任を押し付けることなくB級戦争犯罪人として処刑された岡田資の軍事裁判での裁きが妥当、正当なものであったかどうかの検証を生徒のグループが意見を戦わせることによりやってみせたのでした。
実にリアル、生々しいものでした。彼が命じたB-29爆撃機搭乗員の処刑方法が「斬首」、岡田自身の処刑された方法が「絞首」、そして実は温情として岡田を「銃殺」に処する案もアメリカ側から出されたことを述べたグループは、裁判で争点となったこの「斬首」という処刑方法をなぜ岡田は選択したかを調べてきて、時、国により処刑方法もまた異なるものであり、そういった考え方の違いからも裁判は岡田に不利になっていったと論じたのでした。
このグループが論じ終えた後、授業者は「ハラキリ(切腹)」と「斬首」の違いとその成り立ちでコメントしはじめ、8月15日を境に自死を選んで行った軍人、為政者のその死に方を延々と述べ始めたのです。近衛元首相の服毒自殺から、東条英機のピストル自殺、本庄繁、阿南惟幾らの切腹、果ては自身が「終身刑」の判決を受けながらも部下全員が釈放されたのを見届け、終戦より二年経てから割腹自殺した安達二十三中将まで述べる始末です。そうでした、なんと広田弘毅夫人の服毒自殺についてまで触れていました。
さらにさらに、これが高校の授業か?と思うほど日本史の教科書ではなかなかお目にかかれない人物が続出します。しまいには乃木希典大将や三島由紀夫の割腹まで出てきたところでなんと!生徒からストップがかかり軌道修正です。
これもすべてシナリオに織り込み済み?~と思わせるアクシデントで、ピッタリと授業時間内に激論は終わったのでした。3回連続の授業の最終時を参観させてもらったのですが、これが初めてでなく何度も生徒たちと一緒に練習に練習を重ねたのでは?と思わせる内容でした。
決して子どもたちを紋切り型にレベル分けなどできるものではありませんが、この高校は決して進学校などではなく、生徒のほとんどが卒業後は就職していくごく普通の、生徒指導に教師の仕事のほとんどが持って行かれてしまうような学校です。
あれから長い時間が過ぎ去ったというのに、いまでもこのようにリアルに当時の内容をありありと再現できるのです。授業のデキ、フデキは別にしてこれは恐るべきことではないでしょうか?
私自身の校種は高校商業ではありますが、私自身が歴史が好きであったことを差し引いてもすごすぎます。記憶にこびりつき過ぎていて忘れようにも忘れることができないでいるのです。私自身のこれまで行ってきた授業で、このように生徒の心に刺さるようなものがあったかどうか問われたら「?」が付くでしょう。
もちろん、専門、教科の性格にもよるでしょうが、簿記、PCでロマンを語るにはなかなか難しいものがありました。私なりにチカラは尽くしてきましたが、実学には実学なりにあるべき姿というものがあります。学問であると同時に技術、スキルの側面がとても強いのです。
※「後悔しないための教員採用試験・教科(校種)選択~簿記でロマンは語れるのか~」
彼のようなロマンを語ることのできる教科、専門に強いあこがれを抱いたのと同時に嫉妬も覚えた記憶があります。前置きが長くなりましたが、彼の授業はこの切り取られた一時間だけが突出しているわけではなく、毎時毎時が生徒を惹きつけるのだそうです。
これはとてつもなくすごいことであり、またすばらしいことなのではないでしょうか?彼は授業のみを任せられている非常勤ではなく教諭でした。その職階にありながら毎時毎時、深みのある授業を展開していたのです。
何でもはなしには「しかし」が付き物ですが、やはりこのストーリーもご多分には漏れないようです。
授業での生徒指導は不可欠!
これはあくまでも私が彼と同じハコで仕事をするものとして付き合ってきた所感になりますが、彼は授業者としては常に生徒の心を掴んで離さないトップランナーではありましたが、すべてのシーンにおいて他を先導していった教師では決してなかったのでした。
非常勤ではなく、常勤以上の職階であれば当然任される校務分掌も多岐にわたります。そのうえ、時として予想だにしないアクシデントに見舞われ、みなで協力して事に当たらなければならないシーンだってたくさんあるでしょう。そういったことに彼は極力かかわらなかったタイプの人間であったのです。
御自ら、「学究肌」と称していたのですから、当時の私は「?」「?」~とはてなだらけでした。
授業以外での生徒指導を彼は放棄していたように思うのです。私は生徒指導畑が長いこともあり、クラス、授業、部活などでは、ほとんどというかまったく接触のない生徒の指導も積極的にかかわってきました。だって同じ学校の子どもたちじゃないですか?
そのためにえらく時間を取られたり、さらにさらに難しく面倒なことになったこと数え切れず・・・これは学校教師であり続ける限り当たり前のことだと私は思うのです。しかし、彼からするとこういった「些事(彼はかつてこう表現しました)」にはできるだけかかわらないようにしている~ということでした。授業の準備の時間が惜しいのだそうです。それに自分自身の「研究」の時間もなくて困っているとのことでした。
「そんなの知ったことか?」「この人何なんだろう?」「何で学校教員になったんだろう?」そう思いましたよ。
「この人とはいっしょに仕事はしたくないな」そう素直に思いました。
「そんなに授業以外の子どもたちと関わりたくないのなら、研究者、学者になるか、非常勤になればいいのに(非常勤の先生であっても、かかわりのない生徒に指導が通る先生もいますよね)、職階と給与待遇の面からだけでこの人はこの学校にいるんだな」そう勘繰りたくもなりますよ。言葉は悪いですが、狡猾ですよ。学校を子どもたちを利用しているんですから。
当然、子供らが悪さをしてもすべて見ぬふり。授業に入っていない子どもたちの集団と廊下でスレ違って、自分が端に避けて子どもたちを通すのですから、子どもたちも舐めています。当然、見かねた私がその場で彼らの行いを正しましたが、彼は後から私にこう言いました。「余計なことはしないでくれませんか?」
彼の授業での神通力も教室から一歩出て、彼を知らない生徒にとっては全く通用しないのでした。悲しいですね。
前置きがまたまた長くなりましたが、必要なことなのでごめんなさいね。結局、実際のところ、学校教師のみながみな、必ずしも彼のように十分な準備をして授業に臨めることなどできやしないのです。いいワケになるうかもしれませんが、これが現実でしょう。
彼のような「すばらしい授業」を展開できなくとも、教師であれば教壇に立たなければなりません。時に授業に集中できない、興味を失くした子どもたちも出てくるでしょう。当然、教師であれば指導しなくてはいけません。
さて、ここからが本題です。
授業ルールの徹底と定着!いたってシンプル!
先生はご自分の授業開きの時に、授業のルールと評価について子どもたちと話し合われたでしょうか?
実はこれが、授業内容と同じくらい非常に重要なものになってきます。本当です。
「言うは易し行うは難し」ではありませんが、マイ授業ルールを子どもたちと決めるのはカンタンです。しかし、これを確実に実行し、ブレずに貫徹し尽くし、当たり前のこととしてクラス内に定着させていくことは決して簡単ではないです。
教師の不断の努力、そして何より忍耐力が問われるのです。
最初の授業開きの段階で徹底してこれを行えばあとは本当にラクです。
「みんなで、クラスで決めたルール。こうしたらこうなる。やらなかったからこうなっちゃった。」
生徒も納得済みなのです。その都度その都度、煩わしく指導していってストレス溜まりまくり~なんてこととはもうおさらばです。
こちらについても、「初任者教師のいまスグやるべきこと「決意と覚悟」~初任者研修も考え方次第で楽しいものなり~」で話しておりますのでこちらでの深入りは避けますが、繰り返します。
授業中私語は「ルール違反」であるとういう認識を生徒に持たせ、皆で決めたことはみんなで守っていこう!という姿勢を教師は取り続けるだけでよく、自然とそのようなムードになっていくので、叱ったり怒ったりイライラすることもなくなるわけなのです。
具体的な方法などは、上の記事で詳しく話していますので、参考にされて先生なりのスタイルを確立していってください。
授業中の生徒指導はどうあるべきか?
以上の2つのテーマを行っていくうえで、どうしても先生が子どもたちを指導していかなくてはならないシーンに遭遇することでしょう。
そんな時、指導者として絶対に忘れてはならない視点「5つ」を挙げてみます。
① 見逃し✖
これは言わずもがなですが、教壇に立つものとして、見て見ぬふりはまかり通りませぬ。
教師であれば、その場その場に応じたフレキシブルな指導が要求されます。時として、授業一時限つぶしても激論戦わす時もあってもいいでしょう。その場で指導するか、後々じっくりとにするにせよ、正すべき行いはキッチリカッチリ正します。
② 指導のブレ、一貫性を欠く指導いずれも✖
昨日と今日で教師の言っていることが違ってたり、授業のルールがコロコロと変わってしまうようであれば、生徒は思うでしょうか?
そうなのです。ここでも授業のルールを徹底させ、定着させていくことが求められるのです。
③ あきらめる✖
これまで私が相談に乗ってきた方たちの中で一番多いのがことパターンです。
指導を継続させないで、途中で止めてしまったり、中途半端な形にしてしまったらこれまでの努力はすべてパーです。それどころかかえって事態を悪化さること必至です。
一度決めたクラス、授業のルール、自分の方針、信念を最後まで変えないことです。何があっても死守しなければならないのです、この砦だけは・・・
自分のポリシーを途中で投げ出してしまった教員と、最後までカタチにはならなかったけど、自らが言い出したことを守り続けた教師とではどちらが生徒の眼には教師らしく映るでしょうか?
④ 不公平性を欠く指導✖
こちらも言わずもがなですが、①の「見逃し」とも相通じるものがあります。誰であろうといつであろうと、どこであってもダメなものはダメなのです。ならぬものはならぬのです。
⑤ その場しのぎ、取り繕った感のある指導✖
これは分かっていただけると思います。要は指導者がどこまで本気なのか、ハラが括れているかどうか?の問題なのです。中途半端で気持ちのこれっぽっちも入っていない、その場しのぎの指導モドキなどキョウビの子どもたちにスグ見透かされてしまうことでしょう。
今こそ、大人の本気を見せるべきです。
以上、絶対に忘れてはならない指導の視点ですが、最後に大切になってくるのは「何のための指導であるかを生徒に分からせる指導が大切」ということなのです。
特に多感である中高生相手では、頭ごなし、チカラで押さえつける指導などは、本当にその場しのぎのいい見本になってしまうこと必定です。教師の指導が通るのは、やはり生徒の気持ちにきょすひの指導が入り込んだ時なのではないでしょうか?
相談のパターンについて、はじめに
先生からいただいた相談の内容では、かなり情報が少なくて、こちらとしても最大公約数的な回答しかできないのです。
たとえば、私語、携帯などのような切り取った一つの場面は理解できても、これまで貴方がどのような指導を続けてきて、それがどのような効果を生徒にもたらしてきたこと、担任、その他の教師との連携、そして先生の授業ルールがどのようなものであるか、どう守らせてきたかなどが知りたいですね。
それ以外でしたら、中学校であるのか、高校であるのか、男子女子の比率、果ては先生が男性であるのか女性であるのかもまったく私にはわかりません。
これらの情報があればもうちょっと突っ込んだ回答になったかもしれませんが、最大公約数の回答ということでご承知おきください。
先生の学校の生徒指導内規がどのようなものであるか私には分かりませんが、取り上げた携帯は担任に戻すことになっているのでしょうか?
私のこれまでの経験校でも、この携帯の扱いはさまざまでした。先生と同じように担任預かりのところもあれば、あくまでも授業者一任の学校もありました。一方、授業中は言うに及ばず学校内では一切合切使用禁止で、これに反した場合は指導部預かりで担任、指導教師、授業者、生徒父兄同伴の元、説諭した後、返却。そして2回目は一切合切、学校持ち込みを禁止した挙句、指導の対象とする~といった厳格な学校もありました。
先生の学校が、授業者取り上げ→担任預かり→生徒返却~となっているという前提で話を進めます。
取り上げ携帯を返すということ
もう一度、先生の話をプレイバックしてみます。
私立高校、非常勤講師五年目のAと申します。見た目若く大人しく見えるようで、生徒からなめられて授業を成り立たせるのにとても苦労しています。
40人クラスで男子たちが好きな話題で私語しています。その声でわたしの声がかき消されてしまいます。携帯を触っている生徒もいます。携帯を触っているを見つけると取り上げて担任に渡すのですが昼休みには担任が返してしまうので結局携帯を触っている生徒が後を立ちません。
「後を絶たない」という箇所がかなり気になります。
担任は流れ作業的に、指導なしに生徒に携帯を返してしまっているのでしょうか?これでは先生の努力、忍耐がまったく報われていません。先生の指導は授業中のみなのでしょうか?それともその後、そのほか継続的に行われているのでしょうか?
担任預かりになっているのであれば、昼休みなどの短時間のうちにササッと事務的に指導?を済ませるのではなく、放課後等に生徒を残して担任、授業者、場合によっては学年主任、生徒指導部付教師を交えて指導すべきではないでしょうか?
場合によっては、先生おひとりでじっくりと話し合われたほうがいいでしょう。
先生の非常勤というポジションからすると放課後まで学校にいるのは困難な場合もあるかもしれませんが、このような携帯の返却形態はあり得ないことです。まさにカタチだけのものであり、指導の体を成していません。
難しいことかもしれませんが、生徒に返す段階で、授業者の先生がかかわれるカタチでないといけません。「後を絶たない」のも指導が入っていない証拠です。授業者立会いの下、「次、同じことやったら、こうなる」と生徒に示し、同時に保護者連絡も必要になります。あとで父兄が「聞いてない」といってもめるのはコトを難しくするだけです。
私が先生のポジションであったなら、たとえ担任預かりがルールだったとしても、どのように返却しているのか聞き出し、場合によっては「何の指導もしないで返却するのは止めてほしい」とまで言うでしょうね。そして、「自分も返却時に立ち会わせてほしい」と懇願し、果ては、「授業者預かりにさせてもらえないか?」を言い出すのが理想ですが、これが学校のおきて破りになるのならアウトですね。
授業者と担任、学校の共通理解のもと事に当たっておらず、指導の一貫性が保たれていないことが一向に同じことが繰り返される原因のような気がします。
授業中に携帯を出させない!指導!
携帯を授業中にキチンと取り上げ、その指導を継続している先生の姿勢は教師として当たり前のことではありますが立派だと思います。当たり前のことがなかなかできない人もいるのですから。
でも、そんな先生の努力も虚しいものになっているようです。だったら、先ほど申したように、やってしまった後の事後指導を徹底的にやって、たとえ生徒の心に指導が入らなくとも、生徒に「面倒なことはもうコリゴリ」「我慢してた方が絶対イイ」と思わせたほうがいいでしょう。
コトを起こすまで、そして起こしてからの最初はリキも要りますし、神経もすり減らすことになりますが、この地道なことを複数教師連携のもと繰り返していくだけで間違いなく、授業中に携帯をいじくるものなどいなくなるでしょう。彼らがイヤがることは、面倒な事、放課後等自分の時間を持って行かれたり拘束されたりすること、そしていちばんイヤなのが家庭連絡や父兄召喚です。
これらの指導を徹底してやり続ければ、彼らも先生の本気度を知ることになるでしょう。
「最後までやるつもりだ!」
「本気だ!」
「逆らわないほうがいい!」
こう思わせるまで徹底してやるのです。
しつこいと言われても大事なことですから繰り返します。
このように「ルールというものは、徹底し続け定着させていくもの」なのです。
授業中私語についての私のスタイル
「授業中私語には理由がある~」の中で、試行錯誤のうえ授業改善を試みた私の経験を話しました。
しかし、これは悩んでいたころの話であり、いまであればこのようなトライアンドエラーから出発することはあり得ません。経験上、こうやればなくなる~ということが分かっているからです。
もちろん、前述のように授業準備を怠るということを前提にしているものではありませんが、大事なことは、マイ授業ルールを生徒とともにつくり、それを徹底していき生徒に定着させるだけなのです。
① 授業スタイル
教科、科目の性格、内容にもよりますが、極力否が応でも参加しなくてはいけないようなスタイルに変えていきました。もちろん、一方的な板書解説型が必要になるときもありますが、頬杖ついて眠っている暇などないような作業を取り入れたり、質問、発問を多くしていき、生徒の発表、発言をこれまで以上に大事に扱うようにしていったのです。
また、高校ともなるとあまり宿題など出す授業者はいないかもしれませんが、自分のスタイル一新のため、宿題を毎回出した他、授業の初めに前回の授業内容のマメテストも毎回実施しました。
教科員にたまに採点させるとかもしましたが、もちろんこちらの負担は激増です。しかし、続けていくうち、こちらの授業にかける本気度、熱量が彼らにも伝わってきたのか「授業中居眠り(熟睡ではないです)」もまったくといっていいほどなくなり、授業参加意欲も傍目から見ても増してきたように思えたのでした。不思議な風景でした。
※「授業中寝ている生徒の指導はどうあるべきか?教師であるならば!」
これまでも、評価は減点方式などではなく加点方式を取っていたのですが、授業中参加意欲、態度、宿題提出状況などすべてが自分の評価にかかわってくるとなると生徒も現金なものです。授業開きの時に、生徒と確認し合ったことがら、決定事項は紙ベースで生徒父兄に周知徹底させます。
こうなってくると参加しようという生徒が多数を占め、授業を怠けたい、遊びたい、騒ぎたいといった生徒は少数派になっていきます。クラスの雰囲気とは本当に不思議なもので、多数に無勢ではありませんが、勝ち目がないと気持ちがしぼんでいったのか、騒がしい子どもたちもしぶしぶ参加するようになっていたのですから本当にミラクルです。
② 授業中私語についての対処方法
これも、前の「授業中私語には理由がある~」で話したことになりますが、一部を抜き出してみます。
授業中私語一つとってみても、クラス全体で話し合って決めたものとなると全体で守らないと具合が悪くなっていく雰囲気になっていくものです。
この決まりを決める際には、「こうしたらこうなる」というルールを明確にクラス全体に提示しなければなりません。
「私語はなぜだめなの?」
「授業はクラス全体のもの。授業に集中したい生徒の妨げになるし、雰囲気にも影響するだろう。」
「度を越した私語は授業妨害。」
「授業妨害は絶対許さない!」
「度を越した~の「度」ってどんな基準?」「ささやき声でもだめなの?」
「ここまでやったらダメだろう~ぐらいは高校生なったら自分でわかるだろう」
・・・などのように自由に意見を出させて授業開き、クラス開きの時にクラス・授業のルールを敷くだけでよいのです。私は司会を生徒の中から選ばせて、その司会進行の元、ルールが決まっていくのを見届け、たまに助言する程度でした。
ルールを子どもたちに決めさせ守らせていく~という手法は小学校低学年の児童には厳しいでしょうが、中高学年ともなれば十分でしょう。
授業中私語は「ルール違反」であるとういう認識を生徒に持たせ、皆で決めたことはみんなで守っていこう!という姿勢を教師は取り続けるだけでよく、自然とそのようなムードになっていくので、叱ったり怒ったりイライラすることもなくなるわけなのです。
このようにルールをきちんとみなで決め、それに自分なりの授業スタイルが出来上がれば、もう怖いものはなにもありません。あとは授業にますます磨きをかけ、このルールを見守り続けるだけでいいのですから。
それでも、授業中私語が出てしまう時があるでしょう。授業中私語と一口に言っても、授業を盛り上げるようなちょっとしたものから度を越したみなに迷惑が及ぶものまでいろいろあります。ここで言っているのは、授業の妨げになるいわゆる授業妨害に当たる行為についてです。
ルールをきちっと徹底し続け、授業に準備をかけていけば私語などとは無縁なのですが、どうしても最初のうちは指導しなくてはいくない場面に出くわすことでしょう。このような時にこそ、先に述べた「授業中指導5つの視点」を忘れてはなりません。
いまやるにせよ、後からにせよキッチリ指導します。この最初のアクションを忘れたり、指導の継続性の重要性を甘く見るとあとあと痛い目を見ます。
因みに私は授業中、指導上必要に迫られて生徒を教室外に出したことはありません。教室内に立たせたことや、授業のアシスタント役をやらせたことはありますが。
このようなスタイルを採り続けていると、まず度を越した授業中私語など起こりません。どうしても話したいことがあったときなどヒソヒソと聞こえるか聞こえないかぐらいのささやき声で話すのですからかわいいものです。
先生の場合、これから授業ルールを振り返り、場合によっては年度の途中からご自分のルールを徹底させていくことになります。正直な話、中途から指導を守らせていくにはかなりの力量が要求されます。本気で取り組むのであれば、それでもやらなければなりません。
授業中、先生の指導に従わないのであれば、後々呼び出してでも、指導部の指導に入れてでも徹底してやらなければなりません。学校の指導体制、雰囲気などもあり一概に言えるものでは決してありませんが、本気であればやるしかないのです。
私自身、常勤講師→教諭→常勤講師、非常勤講師とこれまで経験してきましたので、非常勤の先生の微妙なポジション、そして公立、私立によっても異なる学校の雰囲気なども少しは理解しているつもりです。おそらくなかなか本気を入れて指導していけばかなり骨の折れることになることでしょう。
すべては先生の気持ち次第であると私は思います。
生徒に取って、教師が「若い」「おとなしく見える」なんてことは、教師をとらえる部分、視点の一部でしかありません。これまでの多くの経験校でさまざまな先生と仕事をしていくうち、知ったことです。新卒非常勤であってもバリバリ、授業中生徒とぶつかりあって一歩も譲らず、終いには自分なりの授業スタイルを確立していった先生(同じ教科であったので、何度も授業を参観しました。彼女から頼まれて)。定年間近というのに未だに授業が成立せず、となりにの教室の私が指導に行くこと数知れず。この先生は恰幅もよく、年中真っ黒に日焼けしていて、放課後になるとテニスコートまっしぐら~という部活に生きる人でありました。
年齢やナリなどだけで教師を推し量ってはいないはずです、生徒は。
TUBE「あばよ My School Days」作詞:前田亘輝、作曲:春畑道哉
まずは、何から取り組むか?
ここまで延々と述べてきましたが、もう先生の中では何をやっていくべきか?どうか?の組み立てが始まっているのではないでしょうか?
あれこれ考えるのももちろん大切なことではありますが、考えぬいて実際に準備を整え、行動に移さなければいつまで経っても何も変わらないのです。過去の私も、悩み抜き、自分なりに最善を尽くしトライアンドエラーを繰り返すなかから自分なりのスタイルを見つけていったのです。
そうなのです。授業スタイルなど百人百様であり、「これが正解!」「こうやったら絶対うまくいく!」なんて方法があったら眉唾ものでしょう。私がこれまで話してきた方法も、私の場合、そして私が相談に乗ったさまざまな人たちも授業改善を試みる中でそれなりの成果を出してきましたが、すべてのケースにおいてうまくいく!なんて断言はできやしないのです。
ただ一つだけ最後に私が強調したいのは、そうやって悩みぬき、授業をいいものにしていきたい、生徒とともに授業を作り上げていきたい~といった教師の姿勢、努力というものは生徒たちはつぶさに見ているものだということなのです。
彼らを侮ってはいけません。先生をキチンと見ている、評価しているものは必ずいるのです。こういった教師の在り方に励まされている子どもたちもいることを忘れてほしくはありません。
先生の今、立っておられるところはあくまでも通過点に過ぎません。通過点であると同時に「岐路」であるかもしれません。
この難所をどう切り抜けるか、どう向き合っていくか?にこれからの教師人生がかかっているように私には思えてなりません。
陰ながら先生のご活躍を応援しております。
※「教師の人としてのあり方・姿勢が生徒を救う!?~何かを教えたり、してあげることだけが教育ではない!~」
(注)記事アップと前後して、こちらの先生より、状況の詳細、現況などの連絡をいただきました。
ご本人特定のリスク回避のため、文面を多少修正しておりますが、文々のキャッチボールをそのまま掲載したほうが流れが分かりやすいと思いますのでそのまま記載します。以降の記事の中で、先生の実際に即した回答を試みたいと思います。
授業中携帯取り上げの、その後の詳細
①
はじめまして。○○と申します。とても丁寧なご返信感動しております。
お問い合わせの内容、私がどのように行動しているか詳細に送らせて頂きます。
○○の○○科で、レベルは標準より低いです。そのクラスは40人いまして学校の都合上理系と文系の混合クラスです。
普段は理系、文系が別々で授業を受けており、現代文、英語、家庭科、体育が40人全員の共通授業です。私は○○〇担当です。
騒がしい男子が数人いましてそこに他の男子が乗っかり、10人くらいになって私語の声が大きくなっていきます。
音読していても私が説明していてもずっと私語しているため、他の子達も馬鹿馬鹿しくなってしまい携帯を見たりしてしまう始末。そんな中でも授業を聞こうと頑張ってくれている生徒は10人いないくらいです。
携帯は授業中使っているのを見つけるので毎日何台か取り上げています。ここで問題があります。本来学校の規則では携帯を使っていいのは緊急時以外は放課後だけです。休み時間も授業中もバックのなかにしまって使用しない。
というが規則です。しかし、正規の先生たちの中には休み時間に生徒が使っているのを見ても放置している状況があります。私たち非常勤講師が守らせようと頑張っていても限界があります。そしてこのクラスの担任は、私が授業中あきらかに携帯を触っていたのを見て、とりあげても一週間は取り上げず、その日の昼休みには返してしまうのです。なので私がいくらとりあげても昼休みには返してもらえると生徒たちもたかをくくって授業中携帯をやります。
そんな状況です。学年主任の対応も同じで昼休みには返してしまうのです。理由は、携帯を長時間取り上げていて壊れでもしたら親からクレームがくるからだそうです。
私語する生徒たちにも毎時間注意しています。
大声だして怒るというよりは、諭すような形で
この勉強は何のためか?というところの話をしたり、騒がしくして他の人に迷惑をかけてはいけないという話をしています。
私は、真面目に頑張って聞いてくれている生徒たちのためになんとかこの状況を打開したいです。生徒たちと○○や○○の深い部分まで考えるそんな授業がしたいです。
駄文になってしまいましたが、このような状況です。私が直せる部分はいくらでも直したいと思います。
ブログの記事を楽しみにお待ちしています。どうかよろしくお願い致します。
②
連絡本当にありがとうございます。ブログも拝見させて頂きました。丁寧に答えて頂き本当に感動しています。読みながら泣けてくるほど嬉しかったです。お礼が遅くなり大変申し訳ありません。
矛盾を感じた出来事が起こりまた悩んでいました。
私が携帯を取り上げた生徒をhさんと仮定します。彼は授業中に携帯を机のなかに入れてこっそりいじっていましたので、携帯を取り上げました。授業が終わり担任に渡すと、証拠不十分と言われ昼休みには返してしまいました。前回も書いた内容です。
最近のことです。hさんが大変落ち込んだ顔をしていたので声をかけると、携帯をやっているところを正規の先生に取り上げられて担任に渡された。二週間戻ってこないと言うのです。
担任の私の時との態度の違いに驚きました。正規の先生が取り上げたらきちんと証拠が揃っていると?非常勤講師だから証拠不十分?本当に下に見られているのと、いい加減さに呆れてしまいました。真面目にやっているのに、正規か非常勤かで差別された目で見られているんですね。
ブログを読んで、自分の授業を変革していくこと、一回まっさらに戻して0からもう一回作り直すこと、その授業で何を一番伝えたいのか、訴えたいのかをしっかり練っていこうと決めました。
そこに必死になって今取り組んでいるところです。
そして子供達に授業中のルールを話し合わせることを時間を取ってやりたいと思います。
もう一回ブログアップして頂けるなんて私としては本当に嬉しいのですが、ご負担ではありませんか?
大変でなければぜひお願い致します。
ユメザスの返答
①
こんにちは、はじめまして。
メッセージありがとうございます。
アドレスが表示されておりましたのでこちらより失礼します。
先生、毎日お疲れ様です。
お問い合わせいただいた内容は、これまで生徒指導のカテゴリーで何度か話したことはありますが、
○○さんのケースで、コメント欄でお答えするとかなりの分量になってしまいます。
また、春樹さんの「ダンス~」の記事で先生からのコメントが付くとは想像していませんでした。
ユメザスのコメント欄、結構長文になることも多いのですが、よく読者さんからは見づらいと指摘されます。
従いまして、いただいた内容にそっくり回答するという形で、一つの記事としてアップさせていただきます。
もちろん、ペンネームやアドレスなどは非公開です。
ただいま出張コンサルで家を空けておりますので、戻り次第回答いたします。私も講師時代、初任者時代は○○さんと同じような経験をしてきましたので少しでも参考になれたら嬉しいです。
3~4日で記事はアップできるかと思いますので、お手すきの時にでもユメザス覗いてみてください。その他、何かありましたらご連絡ください。
※ コメント欄、お問い合わせフォームより直接電話で相談したい~というご希望も多々ありますが、その際は一度ご連絡ください。あらためて、電話番号をお知らせします。
もちろん無料ですのでご安心ください。
このようなサイトを運営していますと、中傷、イタズラ電話等が過去に非常に多かったため現在は電話番号は非公開にしております。ご了承ください。
②
こんばんは。ご連絡ありがとうございます。
せっかく早々にご返信いただきましたのに、先生のメールを見逃してしまい、こちらいただいた情報をベースにしないまま、記事を先日アップしてしまいました。
ごめんなさい。
つきましては、再度、こちら先生の文面、お名前などは伏せて追記でアップさせていただきたいと思いますが、公開した記事はいかがでしたでしょうか?
再度、追記公開前に足りない面、違うな?と感じられた面、感想等、どのような事でも構いませんので一度ご連絡いただけませんでしょうか?
〇〇さんの今回のメッセージ、事実をもとに新しく回答させていただきます。
先生のような事例で悩まれている教師は最近多いです。ぜひ、貴重な体験の共有をお願い致します。
新たな事実、状況とくと拝読いたしました。
先生の高校の携帯返却システムですが、そのような状況でしたら、個人の努力だけでは如何ともしがたいところまで来ています。荒療治と言いますか、抜本的な指導体制の見直しが絶対必要でしょう。
いつの時代も、教員間の指導法、体制の共通理解共有がなされず、バカを見るのは真面目に指導し続けている教師です。
私もこれでさんざん悩みました。
ユメザスの「頭髪指導」の記事でも話しましたが、クラスによって指導の基準がまったく異なり、よくクラスの子どもらには「うちだけは特別だもんね」などと言われつつ、馬鹿正直に素直に従っている子どもらが本当に愛おしく感じたものでした。
担任のつらさ、せつなさを理解していた子供らにどれだけ救われたことでしょう。
先生の指導、お考えに感じ入るところがいろいろありましたので、詳細はサイト記事で述べてみたいと思います。
ひたむきな先生の熱さ、しかと受け取りました。
引き続きよろしくお願いいたします。
私が感じたこと
ありのままに・・・・
問題に対する私の考えを回答する前に、率直に私が受けた思いを綴ってみたいと思います。
失礼な言い方にはなるとは重々承知していますが、「非常勤」の先生の中にも、こちらの先生のようにアツく懸命な先生がいるということをあらためて教えられました。
私がこれまで歩んできた教師人生という狭くてちっぽけな経験での話になりますが、
※ 授業終わったら、スグいなくなっちゃう先生
※ 授業以外はマッタクのノータッチだから、その先生の授業で何か問題があったとしても、相談もできないし、しようと思ってもいる訳ないし
※ 掛け持ちの先生も多いし、学校、子どもたちに対する思いも、きっと中途半端なんだろうな
※ 授業だけに注力できるなんて、なんてうらやましい
などのように、失礼ではありましたが勝手に考えていました。
もちろん先生のように、自分なりのポリシー、柱、哲学のもとに学校、子どもたちを思い、一生懸命な先生もきっとたくさんいたのでしょう。
しかし、学校を去る直前の私がそうだったように、学年主任をはじめいくつものキャップ職を掛け持ちするような状況に於いては、このような先生方と会話どころかあいさつさえ交わす時間も全くない様な状況だったのです。
いつの間にかきて、いつの間にかいなくなっている・・・
こんな勝手な思い込みも、私が公立退職後、非常勤講師や常勤講師をやるようになってだいぶ変わってきました。
教諭として採用されるまえに、常勤として奉職したことはありましたが、「非常勤」の経験は実ははじめてだったのです。非常勤のありがたさを知ると同時に、切なさツラさ悲しさもまた知ることとなったのでした。
ここではメインテーマからちょっとズレますので詳しくは述べませんが、「講師差別!教諭/常勤/非常勤講師~ぜんぶやってみてわかった、非正規のツラさせつなさ~」で話したように、それなりのスペシャルな「待遇」は経験したつもりです。
これで「管理職」でも経験したらしたで、カンリの先生のつらさせつなさもまた知ることになるのでしょうね。
当たり前のことですが、非常勤の先生にもバックグラウンドがあり、日常もあり、置かれている環境もまた実にさまざまです。
特定を避けるため詳しく話すことは控えますが、こちらの先生もまた教師以外の世界を持たれている先生です。
任された時間のみ無難にそれなりにやりすごせば、ことは無事に進むというのに、学校の指導体制に疑問を感じたり、子どもたちの心に響く授業をしたいと思っていたり~と、これは本当に学校を、そして子どもたちを憂い思っているからこそなのではないでしょうか?
こういった「想い」を持つということはなかなかできることではありません。教師である以上、当たり前というか大前提のはずなのですが、その当たり前が当たり前として通用しないのが現在の学校である~ということはみなさんもきっと経験済みのことでしょう。
そして、もっとたいへんであるのは、このアツい想いを持ち続けるということなのでしょう。誰だってラクなほうに流されたいですから・・・
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
この答えは先生、それぞれの胸の内にきっとあるはずです。
考えながら動く!
まず、はじめに・・・
以下に述べますのは、これまで主に生徒指導畑を歩んできた私の経験則から導き出された、あくまで「私だったらこうする!」というものであり、必ずしも先生のいまおかれている環境、状況とマッチしないものかもしれません。
私は先生から受け取ったテキストデータから、先生の想い、考え、現状などを推し量っています。しかし、それはあくまでも私が勝手に思っているものであり、先生の気持ちをまるごと全部、そのまま正確に把握することなんてできやしません。
ですので、先生はそのズレを認識した上で、ここは採り入れらる、ここは違うな、ここはパス~といったようにご自分で修正しながら聞いてもらえたらと思います。
当たり前のことかもしれませんが、最初に忘れてはならない考えを話します。
それは、全体のバランスを俯瞰し、そして考える~ということなのです。
先生はご連絡の中で
「騒がしい男子が数人いましてそこに他の男子が乗っかり、10人くらいになって私語の声が大きくなっていきます。」
そして、
「そんな中でも授業を聞こうと頑張ってくれている生徒は10人いないくらいです。」
と話されました。
先生の気持ちとして、この「授業をがんばりたい!」となんとか踏ん張っている「10人」を救ってあげたい!チカラになりたい!~と思われるのは教師として当然であると思います。
しかしまた、「私語に乗っかかる男子」「10人」もまた、このクラスの生徒、子どもたちである・・・という動かしがたい事実を直視してほしいのです。
この子たちに限らず、どのような子どもであっても
「授業が分かるようになりたい!」
「できれば参加したい!」
「おもしろく、深みのある、分かりやすくてタメになる授業が聞きたい!」
このような基本的な欲求を持っているものであると私は信じます。
だとしたら、このような子どもたちを救い上げることもまた、教師の使命なのではないでしょうか?
教壇に立つようになると、どうしても自己の意にそぐわないもの、授業の妨げになるような行いをするものに対して厳しい目を向けがちになりますが、私はこれまでの自己の経験から、そういった子どもたちこそ自分を成長させてくれたり、新たな気付きを与えてくれるかけがえのない存在であるということを知っています。
また、彼らも何らかの原因、彼らなりの理由があってのことであるということも、今は理解できます。
まとめますと、どのような子どもたちもであっても、同じように扱い、接していってほしいということなのです。偏見、色眼鏡で見てほしくはないということです。
しかし、ここからが私の一番言いたいことです。
クラス経営にしても授業にしても、所詮人間と人間が触れ合うことによって成り立っています。従って、どうしてもどうやっても分かり合えない、誤解が誤解を生む~なんてことがあって当たり前です。
いま、自分ができることを精一杯やってその結果、それでもダメであったとしても、それは「失敗」などでは決してありません。
当時の私は「結果」、つまり「目に見えるもの」ばかり追い求め、「目に見える結果」だけでものごとを判断していました。それは違うと理解できるようになったのはずいぶんと後になってからのことです。
教師のそういった想い、努力といったものは見ている者、評価しているものは確実にいますし、そんなカンタンにおもてに出てくるものではないでしょう。
「分かってもらえない、指導が通らない、どうしよう!?」
などと嘆くのではなく、
「いまは仕方ない、さらに今自分ができることをやる!」
と前向きにいけばいいだけの話です。もちろん、指導の一貫性、自己の柱がブレないことが大前提ですが、
100%の高みなど決して目指さない!
完璧を目指すのはダメ!
全体のバランスを考える!
ということがらが案外重要なのかもしれません。
騒がしい男子の指導に毎時毎時、授業時間の大半を割くようなことはあり得ないし、騒いでいるものがまだまだいるような状況であるのに、敢えて無視して強引に授業を進めるようなのであれば、これは彼らをクラスの一員として扱っていないことになり、授業が授業の体(てい)を成していないことの証左以外の何ものでもありません。
このバランスというのが実にむずかしいのかもしれませんが、一方これがあるからまた授業というものは面白いいきものなのでしょう。
私が先生の立場だったら、こうする!
いよいよ本題です。
だいぶ前置きが長くなりましたが、それもまた大事なことですのでご勘弁ください。先生がこれまで「教科担任」ではなくクラス担任のご経験があるかどうかは私は分かりませんが、「あり」と言う勝手な前提で回答いたします。
私が先生の立場であったなら、以下のような手順で事に当たります。(あくまでも非常勤講師の立場で)
① 担任との話し合いの時間を早急に持つ
学校にはどこの学校であれ、「指導内規」といったものが存在します。その内規の文々は全教職員の共通理解のもと確実に分け隔てなく体現されなければなりません。
それなのに、イリーガルな行いがあった場合、クラス、学年、授業者によってその扱い、指導に「差」があるということは公平に扱っていないということになります。これは断じてあってはならぬことです。全教職員が同じ方向を向いて、同じように子どもたちに当たれば何の問題もないはずです。
もう一度貴方の話されたことを確認します。
「携帯は授業中使っているのを見つけるので毎日何台か取り上げています。ここで問題があります。本来学校の規則では携帯を使っていいのは緊急時以外は放課後だけです。休み時間も授業中もバックのなかにしまって使用しない。」
というが規則です。しかし、正規の先生たちの中には休み時間に生徒が使っているのを見ても放置している状況があります。私たち非常勤講師が守らせようと頑張っていても限界があります。そしてこのクラスの担任は、私が授業中あきらかに携帯を触っていたのを見て、とりあげても一週間は取り上げず、その日の昼休みには返してしまうのです。なので私がいくらとりあげても昼休みには返してもらえると生徒たちもたかをくくって授業中携帯をやります。
そんな状況です。学年主任の対応も同じで昼休みには返してしまうのです。理由は、携帯を長時間取り上げていて壊れでもしたら親からクレームがくるからだそうです。
これからしますと、こちらの担任、学年キャップは明らかに担任、主任欠格というより教師失格であり教員にもなり得ません。
なぜなら、全体で決まったもの、守らなくてはいけないものを遵守していないからです。これでは子供らがかわいそうであり、その責を子どもらに押し付けることなんて恥ずかしくてできません。
このような体たらくでは、先生が仰るように如何に授業者が踏ん張っても、先生方の努力は水泡に帰します。
ですので、先生の現状を口頭で述べるだけではなく、「文書」にしてまずは担任に提示し、このような状況を打開するための善後策を学年主任、管理職とともに話し合ってくれないか?と相談を持ち掛けるのが、はじめの一歩としては妥当でしょう。
本当でしたら、いきなり彼らを飛び越えて、この学年ではこのクラスではこんなことになってますけど~と指導部、並びに管理職に行きたいところですが、彼らの尊大すぎる自尊心を傷つけたりしては、うまくいくものもいかなくなってしまいますのでまずは様子見がいいでしょう。
「これでまともに取り合ってくれないのであれば、この話を持って行くところに持って行きますが、よろしいですね?」
と、この時に付け加えるかどうかは先生にお任せです。
しかし、現実問題として非常勤とはいえその後の付き合いもあるでしょうから、ことはかんたんではありませんね。
学校自体がそのような状況であれば、早急に問題を打開、改善しようとする雰囲気ではないはずです。
先生がいつも学校にいるポジションであるならば、「せめて、携帯は私預かりにしてもらえないでしょうか?」と攻寄るのも一つの手ではありますが(ルールがルールとして守られていない状況ですので)、先生が携帯を預かるのはやはり無理があります。
いずれにしても、この場当たり的な訳の分からない状況は異常です。やはり、全教職員が同じ方向を向いて、ルールに則り同じ方法で生徒にあたるべきです。
② 問題があるこのクラスの他の教科担当者に相談
なかなか、「非常勤というポジションでここまでやるか?!」という人はいないと思いますのでアクションを起こせば印象は強烈ですね。
しかし、そのぶん先生の熱い想いは伝わるのではないでしょうか?できれば、同じ構成員を教えている教科担任に相談し、どのように授業を回し彼らと付き合っているのかを聞き出し、授業を参観させてもらうのがいいですね。これは、まともに先生がクラスの後ろに分捕るのではなく、廊下辺りでそっと陰から見守るような感じだけでも雰囲気がわかれば大丈夫です。
高校ですから、同じ教科、科目の担当者はいないかもしれませんが、できれば隣接領域だとありがたいですね。
授業者は授業中、どのように彼らと接し、指導しているのか?
自分が教えているのと同じ子どもたちは、どのように授業に参加しているのか?
これらを知り、考え、自己の中で膨らませていくことは有意義な事であると私は思います。
③ マイ授業ルールの周知徹底
これは、①~②を終えて、これらを踏まえたうえでのアクションになりますが、非常にこれが大事です。
この大切さについては、これまでくどいくらい話しましたのでここで詳細に触れることは避けますが、結果はともあれ、やれることはすべてやる!くらいの気構えでことに当たってください。
年度途中からでも、気持ちがブレさえしなければ全然大丈夫です。
私だったら、はじめの一~二時間ぶっ潰しても構わないのでとことんやりますね。
自分の授業に賭ける想い、いまこんなことで悩んでいる、そしていま何が問題なのか? 君たちにどうあってほしいのか? なぜ、そう思うのか?
フリートークが可能な環境、雰囲気であればそういうのもいいですね。話せない子どもは確実におりますので、無記名でクラス全員にアンケートを書かせるのがオススメです。
先生が用意した箇条書きの質問事項に加えて、授業に関することを何でもいいので書かせるスペースもあるといいかもしれません。
これらを踏まえたうえで、授業のルールをもう一度再確認(ないのであれば、あらたに子どもたちに確認、納得させたうえで設定)は絶対ゼッタイ必要です。これは本当に本当です。
そして、決定事項は口頭だけでなく、必ず文書一枚にして生徒に提示しなければなりません。
「こんなふうに決まったよ!」と担任、学年、管理職、指導部にも周知しておいたほうがよさそうですね、先生の学校の場合。
先に述べたように、「みんなで納得して決めたものなんだから、守るべし!」と、そういうふうに持っていくだけでいいのです。
授業ルールといえども決まりは決まり、違反した場合はそれなりのペナルティがあって然るべき!
もちろんこれも、子どもたちと話し合って決めておかねばなりません。そして授業内ルールと同じように他にも知らせておくべきです。いらぬトラブルを避けるためにも。
そしてその指導も、先生一人でやる時もあれば、学年スタッフ、指導部員、時には管理職の応援を恃むときもあることでしょう。そういったきめ細かな指導体制も、共通理解のもと敷いておいたほうがいいことは言うまでもありません。
④ 授業ルールが必要な訳
この記事かどうかはもう忘れましたが(すいません、もう「20,000文字(原稿用紙換算50枚?)」を超えました。手がちょっとマヒしてきました)、過去の記事でも話していますが、私は公立普通科、商業科、定時制、通信制高校、私立女子校~とあちこち渡り歩きさまざまな子どもたちと学び合ってきました。
これまでの教師生活のそのほとんどが生徒指導部所属であり、経験校のほとんどがいわゆる「指導困難校」でした。学力だけで子ども、人間性を判断することなどできやしませんが、学力、学習能力は低くともやんちゃで手はかかるけど、かわいい子どもたちでした。
先生は学校で「身の危険」を感じたこと、命が危険にさらされたことなんてありますか?
私は初任地でいい経験(いま思うと)させてもらいました。
しょっぱなから初任でありながらも、自分なりのポリシーがあり絶対曲げなかったので、子どもたちとは衝突ばかりでしたね。
男子生徒の何人かは気に食わないことがあると、雄叫びを上げながらその怒りをガラスに素手で何度も何度もぶつけるんです。それも思いっきり・・・
足蹴にしないところが彼らのポリシーだそうで、傷みを伴わいとだめなんだそうです。(いまでもちょっと理解不能)血にまみれた拳に握られているのは、ギラギラと怪しげな光線を発しているガラスのかけら・・・
それを自分の首筋に突き立てるもの、ガラスの矛先をこちらに向けて不敵な笑みを浮かべる子ども・・・と一人、一回きりじゃないところがいわゆる「フツー」じゃないんです。
携帯一つ取り上げるにも、一時間つぶしての格闘劇ですよ。授業云々の前に、授業を授業として成り立たせるのにほとんどの教員が必死になっているような学校でした。エリアでも学力的に最低の学校であり、入試でも教委よりよほどのことが無い限り落とすことはまかりならん~とのお達しがあるため、余程中学での指導歴がある生徒以外は全入です。
使う言葉、板書の文字一つひとつをかみ砕いて、易しいことばに変換してからでないと彼らの頭には入っていきません。学習障害、情緒障害の子どももたくさんいて、まず、おとなしく座っていることさえできない子どもも各クラスに何人かはいるような学校でした。
愛情に飢えている子どもが多く、彼らからも多くのことを学びました。
携帯を「はいどうぞ」と渡すなんてネコのようにかわいいものです。まさしく私は猛虎とまではいきませんが、サーバルキャットと組み合ってたって感じでした。なにせ相手はこちらの首を絞めにかかってきて一時意識が遠のきましたから・・・
今時の高校生も図体は大きいのでしょうが、当時の彼もまたビッグでした。
とうとう取り上げた携帯を返さなかったことが余程悔しかったのか、親に泣きつき果てはツテを頼って市議会議員なんて輩まで出てきてエラい目に遭いました。
当時の校長に言われた言葉が今でも忘れられません。
「あんたね、子どもと同じ目線でプロレスやってる場合じゃないでしょう。こっちは面倒なことになってホント迷惑なんだから・・・あんな子供でも飯のタネめしの種~って思えばかわいく見えて来るんだよ。「適当」にやることも時には大事なんだよ。携帯いじくってるって、そんなの大したことじゃないでしょう! いまはまだおとなしいもんなんだから、ちょっと前までは校舎内バイクで乗り回すのが流行ってた時あったんだから!」
これ聞いて、エラいトコに来たもんだ!!と思ったと同時にちょっと「スクールウォーズ」っぽいかも!?となぜだか胸が高鳴ったことを妙に記憶しております。
これを機に私が自分を省みるようになったのです。自分の授業の改善、授業ルール設定を試みるために、自分の授業をビデオに録り、さまざまな教師の授業を参観させてもらったことは前に話した通りです。
つまらない授業で、ルールも何もあったようなもんじゃない状況では、おとなしく授業受けてろ!って言われたって、そりゃ子どもらにとっては拷問に近いですよね。
一方、私立女子校では、授業開始まで生徒が全員起立して授業者を待ち構え、終えてからは教師の姿が見えなくなるまでこれまた全員起立してお見送り~なのです。ルールなんて決める必要すらまったくなく、教科員を決めた時など、10人近く即、挙手してとにかくビックリしました。決めたことは、成績、評価のルールを生徒に納得させながら決めていったことぐらいなものでした。
これもひとえに、これまでの地道な教職員の努力があったからなのでしょう。都市部にありながら、礼節や女性らしさ、古き良き日本の伝統を重視している、一本柱の通った想い出深い学校です。
彼女らもまた、チビ虎生徒と同じ高校生なのです。
⑤ 因みに私の過去の授業ルール
経験校がそれなりにありますので、環境、実情もさまざまですが、基本ルールは何ら変わりはありません。
他に迷惑を及ぼす行為
他の人格を貶めたり、人間性を否定するような行為
は絶対許さないということです。
これらに反した時は、徹底的にブレることなく指導しました。基本個人プレイではありましたが、時にはチームを組んでだったり、他の応援をもらう時もあったのです。
① 授業遅刻は1秒たりとも「遅刻は遅刻」(どうしようもない理由は除き)
生徒にこれを強いるからには、授業者が率先垂範です。私が緊急時以外には授業遅刻をしたことがないことはまえに話しましたが、開始チャイム鳴り終わりと同時にクラスに着くよう職員室、分室を出ていました。当然、授業もチャイムと同時に終えなければなりません。彼らの休み時間を奪う権利は授業者にはありませんから。
※ 授業遅刻!(教員=セーフ)×(生徒=アウト)=?これっておかしくない?ダメなものはダメ!
何人(なんぴと)たりとも同じように当然扱う
② 騒がしかったり、授業を始められるような状態でない場合は、静かになるまで絶対に授業を始めない
③ 同じく、机上に授業と関係のないモノは置かせない。しまうまでは授業を始めない。
④ 私語に関しては、ここまでやったらダメ!というものを子どもたちに考えさせて彼らで決めているので、それらを守らせるだけ。
⑤ 携帯ルールは学校ルールによって私の取った方法もさまざま。
ご存知のように、携帯預かりの方法は、学校によって実にさまざまです。そもそも学校に持ってきてはいけないというルールであったポケベル、ピッチ(PHS)時代から、全校一斉に担任が朝の段階ですべて預かり、職員室の専用ロッカーに入れて帰りのSHRまで預かり保管~までなんでもありです。
そんな中、私の経験校での主な方法をいくつか挙げてみます。
A:授業中に携帯がなったり(マナーモードにしてても)、隠れて携帯を使用していた場合には授業中、私がいったん預かり、担任へと。2回目以降は、父兄同伴で担任、指導部長同席のもと説諭。3回目以降は「指導」対象。指導部会に上げて、指導歴が残るということです。
B:同じく授業者預かり、担任に報告した上、授業者の責任のもと、授業者があくまでも預かる(非常勤講師の場合であっても)生徒への返却方法も指導もすべて授業者一任。もちろん、逐一担任には報告。この学校の場合、父兄への連絡まで授業者が許されておりました。
C:上の2つの例の場合、学校にいる間のスマホ等の扱いは生徒に任されておりましたが、この「C」の場合、その自由が全くない方法です。
授業者が毎時毎時のはじめに携帯を生徒たちに出させ、それぞれの方法で預かり、授業終了とともに返却する~という方法です。これが実に面倒なうえ、少なくない時間が持って行かれてしまうのですから、これにはまいりました。全体のルールですから私も当然従っていましたが、これは「?」が付くでしょう。
生徒に自分で考えさせて、人を動かす~という大事な部分がまったく出てこないようにしてしまっているのですから。もっとも、携帯取り上げ等でいろいろと教師生徒間トラブルに業を煮やしての苦肉の策だったのですが、却って問題続出でした。
と言いますのも、預かりの方法が授業者によって、これまた実にさまざまだったのです。教卓の自前のカゴ?にまとめてドン!と置いておき、机間巡視のあいだに生徒にかすめ取られ、「失くしたんだから弁償しろ!」と相成って結局、生徒に折れるカタチになった教員がおりました。これなんか、クラス中がつるんでの計画的なものです。結局、担任も指導ができないわけなのですから情けないことこの上なし・・・また別の授業者は生徒の空きロッカーを使って鍵かけ保管をやっていたのですが、ある時、よりによってそのロッカーのカギをなくしてしまい、結局一日まるまる携帯をロッカーに閉じ込めるはめになったこともありました。
このように実にさまざまな環境、ルールのもと、基本路線はそのルールに則って私も携帯指導に携わってきたわけですが、どの学校であっても私なりのポリシーを貫いてきたことがひとつだけあります。
それは、授業中に携帯に関して指導した者は、その後、必ず間を置かず私自身が一対一でその生徒を指導したということなのです。お互い忙しい身なので、普通は授業が終わったら「ちょっと、分室まで付き合え!」という感じで、そのまま同行させ!さらなる指導が必要な場合は、次の時間までかかったり、放課後呼び出しになったとしても担任と教科担任の許可を取ったうえでさらなる指導を加えていました。
⑥ その他の効果的なちょっとした小技
私は座学の場合、毎時ノートを提出させておりましたが、その授業ノートが結構活躍してくれました。授業に参加した活動の足跡だけでなく、毎回授業の感想、自分がいま思っていることなども自由に書かせておりましたので、これを使って緩急つけての指導が成り立ちました。
「放課後、ちょっと○○のため思ってチカラ入ったけれど、いまこんなふうに思っているんだ・・・」とか私がコメントして返し、生徒もそれにお返し~みたいな感じです。逆に直接皆の前で指導すると通らないナイーブな子どもに関しては、ノート上でカツを入れたこともありました。
一人ひとり、特定の生徒への手紙なども効果的ですし、個人指導だけでなく、グーループで呼び出しての指導なんかもやったこともありました。
よかれと思うことは、考えるだけでなく実際に動いてみるということが大事なのではないでしょうか?
主に、補足では「携帯指導」に焦点を当てて述べてきましたが、いかがでしょうか?
教師がこれらのことを根気強く、諦めずまた決してブレることなく続けていけば、それなりのカタチになっていくものです。型にはめる~というものでもなく、なんとなく流れとして、そうなっていったって感じでしょうか。
私も公立退職後、非常勤講師を務めましたが、授業に専念できるしあわせをおなか一杯になるまで味わいました。非常勤の立場だからこそ、見えていること、ものってきっとたくさんあると思います。本当に授業はいきもので、同じ授業なんて存在しないものですね。
陰ながら先生のご活躍を応援しております。
私立勤務時、彼女らが休み時間によく歌ってたのがコレです。この記事かいててなぜか思い出しました。(中国語の文字列をクリックすると音声が再生されます。)