教師の言う事だったら、なんでもかんでも聞く~なんてことはキョウビの子どもたち、あり得ないですよね。
「なんで自分のいう事はきかないのか?」
「こんなに頑張っているのに、どうしてわかってくれないのか?」
先生の努力が空回りしていませんか?砂を噛むような毎日は実に虚しいですよね。これまで「生徒指導」に関してさまざまなテーマで話してきましたが、今回はズバリ!「生徒指導」そのものです。今日の話題の流れは、「基本」→「大切な視点」→「いちばん大事なたった一つのこと」~の順番で、今回は結論は最後に持って行きます。
「大切な視点」では、これまで私が幾度の失敗を乗り越え自分なりにつかんだものですので、先生方もできるもの、使えるものから実践していってもらえたらうれしいです。
「何言ってんの?このオッサン!?」
お互い人間だもの・・・
どうして指導にならないのかは、子どもが話を聞きたくないから、言うことを聞きたくないから・・・この一点に尽きます。
生徒も人間、教師もまた人間・・・であるなら双方の関係は人間関係
人間関係を築くために必要なものは信頼・・・
この「信頼」というものは、一朝一夕にできあがるようなカンタンなモノなのでしょうか?違いますよね。お互いが一歩づつ距離を縮め合って分かり合う過程で築かれるものなのではないでしょうか。
「指導が入る、通る」ためには当然、この信頼関係が大前提になります。
クラス開き・新学年時、授業等で全く接触のない生徒の指導がちょっと難しいのは、人間関係も何もまだ築かれていないためなのです。
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それでは、「信頼関係」というものを作り上げていくためにはまず、何が必要になってくるのでしょうか?
そう難しく考える必要はありません。あなたが児童生徒学生だった時、大好きだったあの先生、厳しかったけど信頼していた教師のことを思い出してみてください。友人、知人、親子、兄弟姉妹・・・
そうなのです。みんなみんな、あなたの話をまじめにきちんと聞いてくれたのではないでしょうか?
誰だって自分も話したいです。それでも、あなたの話を聞いてくれて受け入れてくれた人たちの存在・・・思い出してみてください。
そして今、あなたを包むすべての人たちの存在・・・この人たちもまた、あなたを受け入れてくれているのではありませんか?
当たり前すぎて日々通り過ぎていってしまっているだけの、この重要な事実を私たちはもう一度噛み締めてみるべきなのではないでしょうか。
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「型」などあってないようなもの、
自分のスタイルは自分でつかむしかない!
生徒指導がうまくいかない、デキない教員がなぜダメなのかを一言でいうのなら、「貫き通すことができない」から・・・これに尽きます。
これは、言動すべてがブレる、そして言葉通り最後までやり通すことができない~ということを指します。
私も初任の頃は、もがいてももがいても出口の全く見えてこない迷路にどっぷりハマる毎日でした。全てを投げだし、今すぐにでも辞めたい!と思ったこと数知れず。
そんな砂を噛むような毎日であっても何とか十数年勤めあげ、それなりの自分の指導スタイル「型」をつかむことができたのはひとえに「あきらめなかった」「貫き通した」からに他なりません。
諦めたらそこですべてが終わります。進歩、成長どころか教師としての退行が始まります。
いま私は「カタ」という言葉を使いましたが、この「型」という言葉が生徒指導では重要な意味を持ちます。生徒指導事例ひとつひとつ、すべてに自分の型を当てはめるなんてできやしません。ひとつとして同じものなんてないのですから。みなさんもケースバイケースできっと柔軟、臨機応変に対応していることと思います。
それでもやっぱり、生徒指導においては自分の型、スタイルというものが存在するのです。身体に染み込んでいるというのでしょうか?
つまり、指導が入れば、子どもたち、生徒のこころに響くものでありさえすればどのようなカタだっていいのです。
みなさんの周りを見渡しても気付くでしょう。生徒指導がうまくいっている教師、そうでない教師・・・みんなみんなそれぞれのスタイルがあると思うのです。どれをとっても一つとして同じ型なんかないですよね。
「これでいいのだ!」「これがしっくりくる!」「これが自分だ!」
~といった自分なりのスタイルが、自分自身が未だ確立されていないから、ブレ、あせりまくり指導が指導として成り立たないのです。
「型」の繰り返しになりますが、よく教師には父性母性の両方が求められる~なんて言われてますよね。すべてを包み込むような母親の温かさ、時に厳しく、だまって見守る父親のおおらかさ・・・
父母以外にも、兄弟姉妹のようにのように常に同じ視線でリードしていってくれる頼もしさ、じいちゃんばあちゃんの父母とはまた違った距離でいつも見守ってくれているありがたさ・・・
このようなファミリー全員のパワーをすべて兼ね備えたスーパーマルチ教師などいるのでしょうか?
これまで何度も話していることですが、教師の仕事は個人プレイとチームプレイとか混在していてその境界線すらハッキリしない時もあります。
生徒指導においてもまたそうなのです。それぞれがそれぞれの長所を活かし役割を果たしていけばいいのです。
時と場合にもよりますが、一人で丸抱えはとても危ないのです。その子供たちのためにも。
いま家族を引き合いに教師の型について話しましたが、実は生徒指導にはもう一つの大事な視点があります。
それは、教師は生徒の家族には絶対なり得ない・・・ということなのです。
つまり、家族以外の大人としてのスタンスも持ち続けていかねばならないのです。
私が新米教師だったころ、一人の生徒の指導に没頭するあまり自分を見失い、まわりが見渡せなくなっていた時に先輩教師が言ってくれた言葉がいまでも忘れられません。
「生徒はひとりか?」
いま目の前にいる生徒を家族のように思い、自分にできることに全力で当たることは教師として当然のことですが、また同時に全体から目を背け他をないがしろにしていたのでした。自分で自分に酔っていたのかもしれません。
これは、自称「頑張っている」教師が実に陥りやすい負のスパイラルです。
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テクニックに走るなかれ!大切にしたい9つの視点
「生徒指導」といっても、何も大上段に構える必要はありません。教師の日々の教育活動すべてが実は生徒指導につながっているのではないでしょうか?
事が起きてから起こすアクションだけが生徒指導ではなく、事が起きる前の、日々のほんのささいな生徒への働きかけこそが問題行動への予防策となり、生徒教師間の人間関係を円滑にしていくものなのです。この視点に立ち、私が心がけていた9つの視点を紹介します。
①生徒の人間性、存在の肯定、全面的受容
やってしまったことについてはもちろんしかるべき指導が必要です。しかし、生徒の存在、人間性まで否定するのは教師にあるまじき姿勢です。過去にフォーカスするのではなく、生徒とのこれからに光を当てていくのが教師の仕事です。
生徒指導の三機能として、A.自己存在感を与える B.自己決定の機会を与える C.共感的人間関係を育成~が挙げられていますが、こういったことがらは何も生徒指導の場だけで行われるべきものではなく、たとえば授業を通してその場を提供したり~と日々の教師のたゆまない働きかけが何よりも重要になってきます。
②待つこと、結果がスグに出ないのは当たり前と心がける
打てば響くようなクイックレスポンス、すぐの結果を求めてばかりでは、うまくいくものも徒労に終わることも少なくありません。相手があることです。こちらの思うようにいかないこともたくさんあります。初任時の私も含めて、この「待つ」ことが苦手な教師が多いこともまた事実です。
スグに目に見えるような変化、結果が出なくともあせらずじっくりいこうではありませんか?いま、自分にできる精一杯のことをやればそれでいいのです。もしかしたら目に見えないだけで、何かが彼らの中に芽生え、根付いているのかもしれないのですから。
③言って聞かせるよりも、自分が動いて見せる!
先に打って出るとでもいうのでしょうか?「率先垂範」という言葉もありますが、人をリードしたいのであれば、まずは言い出しっぺ本人が見本を見せるべきです。口だけの人間はこどもだけでなく、大人もあまり好きではないはずです。
★あいさつは生徒からされてから返すもの→教師自ら率先して子どもたちに声を掛けていく!
★掃除監督→今時ナンセンス!→掃除は子供らと教師が一緒にするもの
「アレるクラスも掃除で変わる~清掃指導をクラスの柱に~心を磨く!」
「清掃指導で生徒を伸ばす!やり方次第で楽しい時間に早変わり!」
★生徒に「もっとがんばれよ!」→自分ががんばってる姿、努力し続けている姿勢を実際に見せてみろよ!
④自分の指導に最後まで責任を持つ!
これはみなさん、そんなの当たり前だよ~というかもしれません。しかし本当に大丈夫でしょうか?このことは言葉でいうほど、実は簡単なことではないのです。
自分の指導に一貫性を持ち、公平を旨とする~とみなさんたいてい心がけるでしょうが、ささいな指導のチャンスを時には見逃してしまったり、多忙を理由に約束を忘れてしまったりしたことはありませんか?
また、明らかにオーバーワークな案件を誰に相談することなくひとりで抱え込み、いざ爆発寸前になって他に丸投げ~なってことはもってのほかなのです。自分で処理しきれない事例であると思われるのであれば、最初から他に相談をしたうえで助力を求めチームで事に当たるべきです。そして、自分は自分のできることを精一杯やる。自分ひとりで解決・処理できた~なんてことが大切なのではなく、解決したかどうかが問題なのですから。
ひとりの生徒に相対し夢中になるあまり、全体が見えなくなっては元も子もありません。
⑤連絡の緻密さと記録があとあとモノを言う!
細かいことですが、これもまたとても重要なことなのです。人間の記憶ほどあいまいで頼りにならないものはありません。
たとえば、事が起こるとさまざまなセクション、人たちとの連携のもと動くことになりますが、その連絡日時・内容などを記録/整理し後から誰が見てもわかりやすいようにまとめておくのです。私はエクセルでオリジナルのフォームをこしらえて活用していましたが、実際問題かなり役に立ちました。指導部会等でもそのまま刷って全体の資料として配布したこともありましたし、何より問題の全体像がこれにより見えてくることもあるのですから馬鹿にできたものではありません。
また、以前「声かけチェックシート」について話したことがありましたが、事が起こってからの上のようなアクションではなく、ふだんの学校での生徒とのやり取り、生徒間でのやり取り、父兄との連絡、果ては教職員間での話題なども自分なりのフォームを作って逐一記録しておくのです。記録としての重要性もさることながら、その偏りが独り善がりのものになっていないか、公平性を欠いてはいないか~を知ることになり、また自分を見つめ直すことにも貢献してくれる、イザという時に実に優れたツールになってくれるのです。
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⑥ブレるな!自分の柱を持て!
これは前の話題「元教師が語る保護者クレーム、モンペ対応の極意~信念、自分の柱を持つこと~」とも重なる部分ばかりですので深入りは避けますが、要は自分の指導を揺るがせにするな!ということです。
ブレるな!
媚びるな!
怯(ひる)むな!
この3つを合言葉に加え
毅然とした態度を貫け!(毅然といっても何も威張り散らせということではありません、念のため。ダメなものは駄目と貫徹せよということです。)
自己の指導に自信を持て!
~と自分に言い聞かせていました。しかし一方で、自己を顧みたり周りの声に耳を傾ける余裕も当然持ち合わせていかねばなりません。
生徒指導のいちばんまずいパターンは、よかれと思っての指導が独り善がりになってしまい、生徒に害を及ぼすだけでなくまわり全体を巻き込んでしまうことなのです。
⑦教師の本気度を見せる!
「こう本気になられちゃこっちも参っちゃうな」
「ここまでやってくれたのだから折れるしかないな」
「なんでこんな事のためにここまでやんの?」
・・・と生徒に言わせるくらいトコトンこちらの本気の度合いが桁違いであることを行動で示すのです。
教師サイドが本気なのか、それとも仕事だから仕方なくやっているのかのどちらかなんて、このころの子ども特有の鋭敏な感覚でスグに察知することでしょう。生徒のモンモノを見抜くチカラを侮ってはいけません。本気でコトに当たるつもりならば、トコトン敷き詰めてやるだけです。中途半端など許されないのです。
⑧味方は多いほうがいい!
「味方」というと「敵」が出てきそうですが、味方という言葉がちょっと違うのであれば「よき相談者」とでもいうのでしょうか?④と⑤にも大いに関係することなのですが、ときには自分以外の誰かを頼りにする~ということです。
それは学校関係者、父兄だけでなく時にはそれが生徒であったりもします。特に生徒指導では情報が時にモノを言います。教師一人、果たしてどれだけ生徒のことを知りうるのでしょうか?日ごろ生徒・父兄とのコミュニケーションを取り、良好な関係を築いていると、大事な情報が向こうから飛び込んできてくれたりするのです。
⑨見返りを求めるな!
「~してあげたのに」「こんなに思っているのに、努力したのに」・・・と「のに」ばかりが続くと、子どもたちも「頼んでないし」とグチの一つも言いたくなります。
見返りを求めるような露骨なものでなくとも、それと匂わせるような言葉遣いでも教師であるならば慎むべきです。まず、いい方向にコトは動きません。当たり前すぎることかもしれませんが、やってしまいがちなのです、これが。私自身も失敗しましたし、まわりでも散々見聞きしたことなのです。
子どもに対して母親が見返りなど求めるでしょうか?そのような慈愛までとはいかなくとも、教師とは博愛・献身的な営みが求められる崇高な職業だと私は思います。
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人を見て法を説け!! これだけ!
人に応じた働きかけをしなければ、相手の心を動かすことはできない・・・このような意味でしたよね。最後に持ってきたコレが実はいちばん大事なことだと気付いたのは、私が教壇に立ちはじめてからだいぶ時間が経ってからのことでした。
①教師自身が思っているように生徒もまた思っているとは限らない・・・
②相手のおかれている状況を見据え指導しなければならない・・・
「相手の立場に立つ!」
~ことはできないけれど、ワンクションおいて、置き換えて考えてみる・・・これだけで指導もスムーズにいくこともあるのです。相手の立場になってよく考えてみたら
ダラダラ説教
エラソーな言い回し
相手の逃げ道を全く用意させないガチガチの指導
正論だけの指導
・・・なんてとてもじゃないけどできないですよね。起きてしまったことは消せないけれど、これからは自分次第で変えていける。子どもと一緒になってそれを考えていくのが教師のはずです。
決して忘れてはならない、ほんとうに大切なこと!
だいぶ前に、何の問題もないと思われていた(勝手に私が思いこんでいた)クラスの生徒にいきなり突然辞められた話をしました。「辞めたいんですが・・・」ではなく、「辞めます!」であったのがいちばんのショックでした。
生徒指導というと、どうしても手のかかる子どもだけに教師の目が行ってしまいがちですが、実は一見何の問題もないように思われる子どもだってそれぞれに何かしら抱え込んでいるのではないのでしょうか? その背負いこんでいる荷物を一緒に持つどころか、荷物の存在に気付こうとすらしなかったのでした。
私はこういった子どもたちの声なき声に耳を傾けるべきだったのです。子どもに自ら去られる立場の担任ほど切なく虚しいことはありません。いま、みなさんには生徒のこころの声が聞こえていますか?表立った行動で、きちんと自分の口で・・・これらで自らのピンチを知らせることのできる子どもだけではないのです。
学校にいろいろな教職員がいるように、子どもたちもまたそれぞれにさまざまなのですね。
目には見えないもの、耳では聞くことができないこと・・・
これらを汲み取っていける教師がもっともっと増えていったら・・・そう願わずにはいられません。
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「指導死」学校に殺される子どもを無くすために~大阪清風高校カンニング自殺から学ぶべきもの~生徒指導10の鉄則~
生徒指導を受けた後の子どもの自死が、1996年以降報道されただけでもすでに20人を超えた。この「20」というとてつもなく多く、そして重い命・・・救えた命ではなかったのか・・・何が子どもたちを追い詰め死 ...
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